不思議の国の軟体鉱物

2017-05

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『Respective Tribute』 第2章「夜空にて」 Part1

 前→第1章「魔力少女」Part4

 部屋に戻ったアリスはカーディガンとバッグを床に投げ捨て、ベッドに倒れ込む。うつ伏せのまま、しばしの間だけ目を閉じた。
 意味も無く唸り、そして起き上がろうとする。
 やめた。
 アリスはそのままの体勢で身体を宙に浮かした。魔力による加速度発生によって、彼女の身体は地面と平行のまま、奇術のように空中で静止する。そのまま身体を縦に90度回転させ、直立の体勢に。そしてバスルームの前まで空中浮遊し、魔力で開けたドアをくぐる。
 そこまで来てアリスは加速度の発生を止め、床に足を降ろす。普通に起き上がり、歩いて、ドアを開けた方がまだ楽だったことに気付いたためだ。
 アイボリーのワンピースと下着類を洗濯カゴに放り込み、浴室に入る。アリスは浴槽近くのスイッチを押し、続いてバルブを捻った。湯が張られ始め、シャワーが噴射される。
 金色の髪を洗浄しながら、アリスは奈々子のことを思い返していた。奈々子は時折、アリスを検査に連れて行く。身体のサイズや身体機能を測る時もあれば、今日のように魔力について検査することもあった。
 奈々子と出会って、日本に来て、もう3ヶ月。流石に検査にも飽きてきたわ。どうして検査するのかって聞いても、奈々子は「仕事なのよ」としか答えてくれなかったし、いまいち面白くないわ。
 奈々子の職業もよく分からない。でも国家公務員であることは前に聞いた。国のために働く仕事で、ということはあの検査は国のためなのかしら。
 浴槽のお湯が溜まったことを音声が知らせる。アリスはシャワーを止めた。
 なんにしても、つまらないわ。
 浴槽で脚を伸ばしながら、アリスは物思う。
 奈々子が嫌いなわけじゃない。色々と世話してくれたもの、嫌いになれるわけがないわ。この部屋も、ケータイも、お金も。みんな奈々子がくれた。だけど、なにかしら。やっぱり少し、不自由だわ。
 外は歩ける。買い物も出来るわ。映画も見れる。食事も出来る。ウェブも見れる。でも、ウェブで買い物は出来ない。苗字と名前が必要なものには手を付けられない。苗字なんて、無いから。奈々子が言うには、戸籍が無いからあまり派手なことはしないで、ですって。それが無いと、自分が誰だか証明出来ないみたい。
 おかしいわ。人間は複雑だから、おかしいのよ。
 何だか良くわからないけど私には出来ないことが多くて、何だか良くわからないけど人間には私に無いものがある。ホント、何だか良くわからないことだらけ。
 まるで不思議の国だわ。奈々子について行ったら、変なことばかりの世界。もちろん素敵なものもあるのだけれど、変なルールが邪魔をしてる。きっともっと、楽しいことがある。でも触れないんだわ。不思議の国の住人じゃなければ、それには触れない。
 アリスは左足を揚げる。銀色のリングが、足首で鈍く光る。彼女の足首よりわずかに大きく作られたそれは、奈々子から外さないように言われたもの。まるで首輪のようで、アリスは少し不愉快だった。
 つまらない。ええ、つまらないわ。
 
 浴室から出たアリスはバスタオルを巻き、別のタオルで頭を拭いた。水分を拭けば、艶だけが残る。決して失われない艶。彼女の髪はそう造られていた。
 髪の水気を取り終えたアリスは居間に戻り、床に脱ぎ捨てていたカーディガンを洗濯カゴに放り込んだ。そしてベッドの上で仰向けになる。天井の明かりを見つめながら、アリスはため息を吐いた。まるで奈々子のように。
 身体を起こし、クローゼットから下着と「いつもの服」を出す。それらに着替えてから、アリスは床に置きっぱなしのバッグを持ってデスクに向かう。デスクは低いテーブルを挟んでベッドの反対側にあり、その上にはウェブ端末があった。
 アリスはデスクの空いているスペースにバッグを落とした。その反動でバッグから携帯端末が転げ、床に落ちる。
 しゃがんでそれを拾うアリス。そしてふと、忘れかけていたあることを思い出した。

 食事の後、奈々子はアリスの住むマンションの前で車を停めた。
「いつもありがとう。それじゃあ、お休みなさい」
「待って」
 車を降りようとするアリスを、奈々子が制止した。
「アリス、貴女最近、空中散歩はしてる?」
 奈々子の言葉にアリスはびくっ、と身体を反応させてしまう。
「飛んでるのね、まだ」
「……ごめんなさい」
「怒っているわけじゃないわ。夜なら見つかり難いでしょうし、高い場所なら尚更」
 俯いていたアリスは、上目遣いに奈々子の顔を見た。怒っていないことを確認し、顔を上げる。
「今日はちょっと、人探しをして欲しいの」
 そう言って奈々子は、自分の携帯端末を操作し、画像を表示させる。
「これ。もし空で見かけたら、連絡して」
 奈々子の携帯端末には日本で無い何処かの街の雑踏が映っており、焦点は真ん中の女性に合わさっていた。灰色の短髪。外見年齢は20代。
「髪の色は違うかもしれないから、注意して。一応、貴女のケータイにも画像送るわね」
 画像ファイルが転送され、アリスの携帯端末が音を鳴らした。
「OK。人探しと言っても簡単には見つからないと思うし、一所懸命探す必要は無いから。偶然見かけたら、知らせて」
「この人……誰かしら?」
 アリスは自分の携帯端末で画像ファイルを開き、目を細めてその女性を見つめる。
「気にしないで。もし見つけたら、教えてあげる」
「むぅ……分かったわ。がんばってみる」

 拾い上げた携帯端末を動かし、アリスはその画像を表示させた。
 奈々子が言うには、空にいるみたい。ということは、魔導士というわけね。空が飛べるんだから、それなりに強い。もしかしたら、私と同じようにスカウトする気かしら。もしそうなら、仲間が増える。楽しくなるわ。
 アリスは想像に胸を躍らせながら、携帯端末をポケットに入れた。そして部屋の明かりを消し、玄関から外に出る。目指すは屋上。誰にも見られずに、誰も手の届かない上空へ飛べる。屋上は空への入口だった。
 屋上に上がり、アリスは両手を広げた。全身で風を確かめる。髪を揺らす程度、無風に近かった。そして、彼女はふわりと上昇する。いつもの服――水色と白のエプロンドレスを着て、リボン付きのカチューシャを付け、屋上の上へ、ビル街の上へ、東京の上へと。

 次→「夜空にて」 Part2

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『Respective Tribute』 第2章「夜空にて」 Part2

 前→第2章「夜空にて」 Part1

 高層化している街の上空で、アリスは目当ての人物がいないか探す。上下左右前後。いくら首を回しても、空には彼女、1人だけ。
 アリスは身体の前面を地面と向かい合わせ、飛んだ。進行方向は頭の先。引力のように全身に加速度が加わっている。それとは別に髪とスカートにも押さえるような力を発生させていたから、彼女はそれらの乱れを気にする事無く飛ぶことが出来る。
 下を見て、上を見て、前を見て。時速30km程度のスピードで当てずっぽうに飛び回り探し回り、そして1時間が経過した。魔力を使うための集中が、アリスを疲労させていた。
「どこにもいないわ」
 ビルの屋上、大の字に寝そべりながら彼女は呟く。周囲のビルよりも背丈のあるそのビルからは、僅かに星の光が見えた。地上からでは街の明かりで掻き消される光。アリスはぼんやりと見つめる。
 『構造体』には星空は無かった。果ての無い空の先、途方も無いほど遠くにある星。それは一体、なんなのだろうか。
 驚くべき人間たちの世界があって、その周りには想像も出来ないくらいに不思議な宇宙がある。自分たちももしかしたら、その宇宙の何処かから来たのかも知れない。アリスはそんな空想に耽った。
 その時、不意に星の1つが消える。そして数秒後、再び光り始めた。
 それを目視したアリスは何が起こったのかしばし考え、起き上がった。
「見つけたかもっ!」
 急激な加速度、一気に上空へ。周囲に目を凝らし、アリスは発見する。明かりの消えたビルを背にして、空に浮かぶ者を。
 地上と付近のビルの明かりによって、その者の顔がぼんやりと照らされている。女性。アリスが写真で見た顔。長い物体を手に持ち、それを弄っている。
 アリスはゆっくりと降下し、彼女から少し離れた位置で停止した。
「あれ……?」
 英語でそう呟いた女性が、顔を上げてアリスの方を向く。青と緑の光に照らされていたものの、その短い髪が灰色であることがアリスには分かった。
 間違いない、この人だわ。
「珍しいね。こんな夜中に空の上で魔導士に会うなんて、初めてだよ」
 警戒心は無いのか、女性は親しげに話しかけて来た。
「しかもその格好」
 全身を見定めるような視線に、アリスは自分の服装を改めて見た。水色と白のエプロンドレスにカチューシャ。『構造体』にいた時に着ていた、アリスの正装。『不思議の国のアリス』をモチーフにしているのは明白であった。
「夜空でアリスに会うなんて、夢でも見てるのかな」
 その言葉にアリスは首を傾げた。
「なんで、私の名前を知っているの?」
「え?」 
 女性は笑みを携え、アリスの顔を見つめたまま沈黙した。
「……ああ、もしかしてアナタって、名前もアリスなの」
「そうよ。私はアリス」
「なるほどなるほど。名前までアリスなんだ、格好だけじゃなくて」
 納得した女性は、改めてアリスの全身を確かめる。
「年はいくつ? まだ学生かな?」
「学生じゃないわ。年は17歳。永遠に」
 アリスは何故か自慢げに言ってしまった。それを聞いた女性は目をぱちくりとさせて、そして苦笑した。
「ははっ、変なの。魔導士って変なの多いけど、その中でもぶっち切りだね」
 変だと言われたアリスは口を尖らせ、への字に曲げた。
「貴女だって変よ。すっごく変だわ」
「どの辺りが?」
「髪の毛灰色だったり、夜中に空飛んでるのもそうよ」
「夜中に空飛んでるのはアナタだって同じでしょ。でもまぁ、うん。私も確かに変かも」
 そう言って女性は手に持っている長物を顔の高さまで挙げ、両手で構えた。
「何をしているの?」
「静かに」
 女性に制止されて、アリスは黙った。アリスが見る限り、それは金属製で、細長い円筒が伸びていて、手で握るためのグリップや人差し指で引くためのトリガーなどが付いていた。女性はスコープを覗きながら、息を殺して、遠く離れたビルに向かっている。
 長く、張り詰めた沈黙。その中でアリスは物体の正体について考え、そして結論した。
 もしかして、これって銃……
 その瞬間、物体が大声を上げた。
 
 銃声。
 
 女性は構えていた銃を下ろし、満足げな表情を浮かべた。
「さて、逃げなきゃ。アナタも早くした方が良いよ」
 女性は呆然とするアリスを放って、上空へと飛んで行ってしまった。
 一方のアリスもすぐに銃声のショックから立ち直り、逃げるように自室の方角へと飛行する。しかし、彼女の頭は何が何だか分からないまま、ただただ混乱していた。

 次→「夜空にて」 Part3

『Respective Tribute』 第2章「夜空にて」 Part3

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 翌朝。アリスの部屋にインターホンが響いた。
「来たわよ」
 アリスからの知らせを受けてやって来た奈々子は、合鍵を使って玄関を開けた。
「はい、おみやげ」
 居間に入ると同時に放り投げた紙箱を、ベッドに腰掛けたアリスがキャッチする。チョコレート。おみやげと言ったが、実のところ奈々子がその新商品を食べたかっただけである。
「で、本当に会ったのね」
 チョコレートの箱を開けながらアリスは頷いた。
「間違いないわ。写真の人よ」
「状況、詳しく話して頂戴」
 奈々子はアリスの左隣に腰掛けた。アリスがチョコレートの小さな塊を口に含みながら喋り出す。
「昨日の夜、ここからちょっと離れたビルの近くで、写真の人に会ったわ。髪も顔も同じで、長い銃を持っていたの」
「うんうん。それで」
 そう言いながら奈々子はアリスの持つ箱からチョコレートを摘もうとした。だがその右手はアリスに叩かれてしまう。
「色々とお話をしてたら、途中でその人は銃を向かいのビルに向けて、急に黙っちゃったの」
「……」
 話の雲行きが怪しくなってきた。奈々子は予想してしまった光景が打ち消されることを期待しつつ、言った。
「……で」
「そしたら突然、バーーンッって大きな銃声がして、それでその人は何処かに逃げちゃったわ。私も何が起こったか分からなくて、必死に部屋まで飛んで帰ったのよ」
「…………」
 奈々子の頭がゆっくりと下がっていった。
「どうしたの、奈々子?」
「聞くんじゃなかったぁ……」
 そして、両手で頭を抱えてしまった。
「ねぇ奈々子」
「こんなことなら車の中で話せば……ああでもそれでも駄目だったかも……うーん……」
 ブツブツと呟く奈々子に、アリスの一言。
「あの人、あんな所で何をしていたのかしら?」
 その鈍感な言葉に反応して、奈々子の中で小さな爆発が起きた。彼女は勢い良く顔を上げ、頭から離した両手でアリスの頬をつねった。
「そのくらい想像が付くでしょ、銃を、向かいのビルに撃ってるって、どう考えたって殺人でしょ、さ、つ、じ、ん!!」
「ひょ、ひょっと、ひゃめへひょうふぁい」
 語調に合わせて頬を引っ張る奈々子。涙目のアリス。
「今までただの常識知らずだと思ってたけど、それ以上、馬鹿、このバカ娘がぁぁ!」
 引っ張る方向を横方向から上下方向に変更された上、頭を前後に揺さぶられるアリス。
「あぁ……もう、どうしよう……」
 両手をアリスの頬から離し、再び頭を抱える奈々子。部屋に仕掛けられているいくつかの盗聴器がアリスの失態を記録してしまった。そのことに頭を悩ませる奈々子は、自分自身の情けない言動まで記録されたことに頭が回っていなかった。
 一方、解放されたアリスはふらふらしながら横向きにベッドに倒れた。
「うぅ……」
 気持ち悪そうにアリスは声を出した。手に持っていた箱からチョコレートが数個、シーツの上に散らばる。
「……ねぇアリス、相手は銃を持っていて、貴女は丸腰だった。そうよね?」
 アリスは答えない。答えられない様子だった。
「それなら、仕方ないよね。うん、仕方ない」
 奈々子は顔を上げながら独り言を続ける。
「もし犯行を止めようとしたら、殺されていた。だから、止めなかった。そうでしょ」
「ぐぅ……」
「うん、これで問題無い。少なくとも、私に責任は無いわね」
 奈々子はうんうんと頷きながら、散らばったチョコレートを1つ摘み、口に入れた。
「それで……」
 まだ調子が戻らない様子で、アリスが身体を起こした。
「あの写真の人、結局誰なのかしら?」

 次→「夜空にて」 Part4

『Respective Tribute』 第2章「夜空にて」 Part4

 前→「夜空にて」 Part3

「ちょっと待ってね」
 奈々子はバッグからノート型の端末を取り出し、電源を入れる。
「名前はホンシア。シンガポール出身の狙撃手よ」
 そう言いながら奈々子は端末を操作し、件の女性のプロフィールを表示する。「周紅霞」という大きな文字の下に制服姿の少女の写真と、昨日アリスに見せたものと同じ写真があった。
「力のある魔導士で、魔力を利用した狙撃を行っているのが特徴。今までに十数件の暗殺を行ったと見られてるわ」
「悪い人ってことかしら」
「そうよ」
 アリスは奈々子の膝の上に乗った端末に顔を近づけている。顔をしかめながら、画面の文字を読んでいるようだ。
「このホンシアが2週間前、日本に入国したの。そのホンシアによる殺人と思われる事件が2件、先週と昨日に行われてる」
 奈々子は端末を操作し、東京都内の地図を表示された。しかめ面をさらに近づけて、アリスが画面上に現れた地図を見る。彼女の顔に邪魔されながら、奈々子は昨夜の事件発生時刻とその時間のアリスの位置を確認する。アリスの左足は、事件現場からわずかに離れた場所にあった。
「やっぱり貴女の目の前で殺ってるわね……」
「この地図で私の居場所が分かるの?」
 アリスが尋ねるが、奈々子は答えなかった。
 アリスの左足首に着けられたリング。それが発信機になっていることに本人は気付いていないようで、その鈍さは奈々子の期待通りだった。気付いていない以上、言う必要も無い。だから奈々子は答えない。
 その代わりに、彼女はある事を尋ねることにした。
「ねぇ、アリス」
 アリスは首を回し、奈々子の顔を見る。その顔を奈々子は見つめ返し、言った。
「魔導士はどこまで自由に、空を飛べるのかな」
「どこまでって……どういう意味かしら?」
「うまく言葉に出来ないんだけど」
 曖昧さを補うために、奈々子は右手の人差し指をピンと立てる。
「飛ぶ時にさ、こういう風にゆらゆらしちゃうのか」
 奈々子は右手全体を左右に揺らした。不安定に飛行する魔導士を表現しているつもりだった。
「それとも、空中に固定されるのか」
 右手の震えを止め、奈々子はアリスの目を覗き込む。
 アリスの青い眼球は作り物のように綺麗である。その無垢な眼が物思い、わずかに陰る。時折見せるそんな瞳の動きを、奈々子は好んでいた。
「うーん、人にもよるんだけど」
 アリスは手元のお菓子箱を宙に浮かす。
「ちょっとこれ、押してみてくれないかしら」
 突然の行動に戸惑いつつも、奈々子は言われた通りに箱を指で突付いた。紙製の箱を指で動かせないわけは無い。しかしアリスが浮かした箱は、奈々子が加えた力にびくともしなかった。紙箱がまるで岩のように重く感じるほど、空中で完全に固定されていた。
「すごいわね……」
 何人かの魔導士と面識のある奈々子も、その力を直に体験するのは初めてだった。
「意識できれば大丈夫なのよ。だけど、突然なのは駄目ね」
 そう言って、アリスは目を閉じる。
「好きなタイミングで押してみてくれないかしら」
 奈々子は突き出した指を箱の直前で止め、2秒ほど待った後でさらに突き出した。箱は何の抵抗も無く押し出され、アリスの前を滑るように移動する。
 アリスがゆっくりと眼を開ける。すると箱の動きは停止し、奈々子の指では動かせなくなった。
「他の力を意識できるかどうかが重要なの。自分の魔力だけならちゃんと飛べるけど、急に強い風が吹くと全然駄目だわ。何かに驚いた時もちょっとだけ、ふらふらってするし。大事なのはアレかしら、せいしんしゅうちゅう?」
「なるほどね……ということは」
 奈々子がキーを叩くと、端末の画面に過去の気象情報が現れた。
「ホンシアが行動を起こした日の風速……やっぱりほとんど無い。昨日も風は無かったわよね」
「ええ、とっても飛びやすい日だったわ」
「飛びやすい日ね。これで予測が立てられそう」
 風速何メートルまでを飛びやすい日としているか、過去の事件の記録からではホンシアの基準は分からない。だけど、少なくとも明らかに風の強い日は行動しないだろう。ビル街の上空なら尚更である。
「ねぇ、奈々子」
 奈々子の言葉に何か引っかかったのか、腑に落ちない表情をしていたアリスが口を開いた。
「奈々子は、このホンシアに何か用があるのかしら」
「ええ、あるわ」
「だったらそのために、私に何をさせたいのか、ちゃんと言って欲しいわ」
 不機嫌になりつつあるアリスを見て、少しはぐらかし過ぎたかなと、奈々子は自分の失敗を感じた。
 強力な魔導士であるホンシアと接触するのにアリスの協力は不可欠であるが、そのアリスが下手に作戦内容を知っているとホンシアに警戒される恐れがあった。しかしこれ以上機嫌を損ねないためにも、そろそろ今回の作戦についてしっかりと話すべきかも知れない。
 奈々子はそう結論し、アリスの頭でも分かりやすいであろう言葉を選び、言った。

 次→「夜空にて」 Part5

『Respective Tribute』 第2章「夜空にて」 Part5

 前→「夜空にて」 Part4

「貴女にはね、アリス。ホンシアと仲良くなってもらいたいの」
「仲良く?」
 アリスはきょとんと目を丸くした。
「仲良くなって、いっそ一緒に買い物に行くくらいに」
「あっ、やっぱり仲間にするのね」
 予想通りだったと言うように、アリスはポンッ、と手を叩いた。
「仲間といえばそうだし、そうじゃないと言えばそうじゃないけどね」
「あら、違うのかしら?」
 アリスはがっくりと肩を落とす。面白い。奈々子はついついにやけてしまう。
「違うとも言いきれないわ。私たちがやるべきことは、ホンシアの身柄確保。その後は監視下に置いた上で『協力』してもらう予定だわ」
「身柄確保って、捕まえるってこと?」
 奈々子が頷くと、アリスは宙に浮かしたままの箱を降ろし、右手の中に収めた。
「それなら、仲良くしない方が良いと思うわ」
「慎重に行きたいのよ。相手を油断させて、ね。分かるでしょ?」
「そんな回りくどいことなんて、まっぴらだわ」
 紙の箱が潰れる音がし、奈々子は結論が間違いだったことを感じ取る。
 普段はつまらなそうに、大人しそうにはしている。しかし、一度火がつけば止まらない。奈々子はそんなアリスの闘志に火をつけてしまったのだ。
 目を覆いたくなる事態だった。
「私がホンシアを倒して、連れてくればいいのよね。任せてちょうだい!」
 アリスが大きくも無い平坦な胸を張り、自信を示すように右手で叩いた。
 やる気満々のアリスをどうにかして黙らせて、元の作戦を遂行するように説得しなければならない。奈々子は気が重くなったが、もはやそれも無駄な努力であるように思えた。
 たとえ元の作戦に戻したとしても、こんな馬鹿娘ではホンシアを騙すことは出来ない。それに、ホンシアに会った時点でアリスが作戦を無視する可能性もある。それならこのまま、ホンシアと戦わせるのも悪くないかも知れないと、奈々子は考えた。
 腹を決めた彼女は、何を想像しているのだろうか、不気味な笑みでチョコレートを頬張るアリスに語りかける。
「分かったわアリス。でもね、失敗は許されないわ」
 アリスは奈々子の方を向き、うんうんと頷いた。
「確実に倒す作戦を考えましょう。シンプルで大胆で、絶望的なやつを」
 奈々子も笑みを浮かべた。先ほどのアリスと同じ、不気味な笑みを。
 女2人、不気味な笑みで向かい合った。

「それじゃあまず、ホンシアについてもっと良く知りたいわ」
「分かった。さっきのプロフィールに大体のことは書いてあるから」
 そう言って奈々子はノート型端末を操作し、再びホンシアのプロフィールを表示した。
「シュウ・ホンシア。24歳。シンガポール出身の華人。父親が企業の社長で、昔はそれなりに裕福な生活をしてたみたい」
「どうして、悪い人になったのかしら?」
「それは少し分からないわね。ただ、17歳の時に父親の企業が破綻、その少し後に両親が事故死してる。高校は卒業してるみたいだけど、その後の消息は不明。その辺りの不幸が原因だとは考えられるわね」
 ついさっきまで意気揚々という感じだったアリスが、それを聞いていく内にみるみる消沈して行った。
「なんだかかわいそうだわ……」
「高校時代までの生活には特に問題は無し。警察に補導されたりも無し。本当にただの、幸せな女の子だったってわけ。なのに突然、全部が壊れたんだから。同情したくもな……ちょっと、泣かないでよ」
 アリスの目は既にうるうると涙ぐんでいた。先ほどまで闘争心を剥き出していたとは思えない、急激な変化だった。
 情緒豊かと言うべきか、情緒不安定と言うべきか。奈々子はアリスが以前、「私たちと違って、人間は心がしっかりしている」と言ったことを思い出す。
 アリスだけじゃなくて、『構造体』で生まれた人間もどきは皆、精神不安定なのかしらね。
 奈々子はアリスの頭を撫でながら、その事についてもいずれ聞いてみることに決めた。
「続けるわよ」
 アリスは小さく頭を動かした。

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