不思議の国の軟体鉱物

2017-06

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『Respective Tribute』 第3章「再会」 Part1

 前→第2章「夜空にて」 Part7

 その夜のアリスは、テレビの野球中継を見ながら軽い夕食を済ませた。
 故郷である『構造体』から出た後に簡単な料理は覚えたものの、レシピ通りに作れることもあまり無く、つまりは料理が下手だった。それでも今日の野菜炒めは美味しい方だったと、彼女は自己評価した。
 食器を適当に洗い、アリスはベッドに腰掛ける。テレビでは青い縦縞のユニフォームを着たバッターが力強いスイングでボールを打ち、彼方へと飛ばす光景が映されていた。それをぼんやりと見ていたアリスは妙な衝動に駆られ、握りこぶしを作ってバッターのフォームを真似し始める。手首と腕と肩に力を込め、彼女は架空の棒を2回、3回と振るった。
 自分のフォームに満足出来た彼女はテレビを消し、ベッドの上で仰向けに倒れる。
 これから服を着替えて、それでホンシアを探しに行かないと。
 アリスはホンシアの故郷、シンガポールの事を思う。シンガポールについてウェブで調べたアリスだったが、東京との違いが分からないというのが彼女の感想だった。ただ、ライオンが有名であるということだけは印象に残った。
 ライオン。猛獣。ホンシアもライオンなのかしら。でもライオンというよりは鳥みたいだったわ。鷹みたいな。
 アリスはシンガポールのビル街を舞う、ホンシアの姿を想像した。高層建築物の森で育った猛禽。両親が死んだ事によって巣立ち、また森に戻ってきた。今度の森は東京。故郷を思い出すような極東の摩天楼。
 鷹と形容したホンシアに対して、自分自身は何なのか。アリスは考え始める。
 その鷹を捕まえるんだから、私は狩人かしら。だけどそんな怖そうなのじゃなくて、鳥よりも自由で、かわいいのが良いわ。でもそんなもの、あるのかしら。
 時折アリスは自分を何かに例えようとして、色々と考えることがあった。しかし、いつも良い例えが浮かばずに同じ結論へと辿り着く。
 私はやっぱり、私だわ、と。

 昨日と同じ服を着て、アリスは『不思議の国のアリス』となって空に舞った。風は穏やかで、昨日と何もかも同じ。ただ違うのは、凶器を秘めていることだけ。
 発光ダイオードと蛍光灯に輝く人工の森を眼下に見下ろし、アリスはどこへ飛ぼうかと辺りを見回しながら考える。
 昨日は偶然会うことが出来たけど、今日はどうかしら。もし会えるとしたら、やっぱり昨日と同じ場所だと思うのだけれど。
 アリスはふと、「犯人は犯行現場に戻ってくる」という言葉を思い出す。ホンシアがいるとしたら犯行現場以外に無い、そう確信した彼女は昨日の現場に向かって加速度を発生させた。
 背中に隠した物が落ちないように、それを押さえ付ける力にも気を付けながら。

 確かにいるとするならこの場所だった。とはいえ、アリスはさほど期待していたわけでも無かった。
 だから昨日と同じように長い銃を持ったホンシアが見えた時、彼女は驚くと共に悪寒を感じた。
 今夜もあの銃を撃つのならば、一体、誰に向かって?
 アリスは奈々子が心配していたことを思い出す。あの時は大丈夫と言えたが、実際に目の前にするとやはり不安を覚えた。そして、奇妙な胸の高鳴りを感じた。
 次第に不安の感情とは別の何かが、彼女の鼓動を益々速めていく。脳裏に過ぎるのは、奈々子と出会う前の記憶。剣とバールのようなものが音を立てながら交差し、離れ、また交差し。そしてさらに昔の記憶。長い金髪、不敵な笑み。
 漂う不安と湧き出す闘志、そして嫌悪。複雑に絡み合った感情がアリスを縛り付け、慎重にさせる。静かに近づきながら、目はホンシアの一挙一動を見逃さずに。そしてアリスは撃たれること無く、ホンシアを攻撃射程に捉えた。
 ゆっくりと、ホンシアがアリスに視線を合わせる。
「や。また会ったね」
 片手を挙げてアリスに挨拶をするホンシア。
「昨日は驚かせちゃったかな。ごめんごめん」
 屈託の無い笑顔を見せる彼女を、アリスは油断せずに見つめる。何一つやましい事が無いような表情をしていても、相手は昨日、人を殺しているのだ。しかもこの場所で。
 なのに、この笑顔。油断出来なかった。
「まさか今日も会えるとは思わなかったよ」
「私も思わなかったわ」
「そりゃそうだよね。でも良かった、色々と話もしたかったから」
「何の話?」
「アナタの話。だって夜の空で知らない人に会ったのなんて初めてだし」
 それに気になる格好だったし、とホンシアは付け加えた。
「私の話……」
 アリスは相手の言葉を反芻する。
「そう。英語が通じるけど、やっぱりアメリカ出身とか?」
 アリスは首を振って否定する。
「アメリカじゃないわ。生まれたのは……」
 『構造体』の話は他人にするな。奈々子とそんな約束をしていたことを、アリスは思い出す。
「……秘密」
 だから、そう答えた。
「秘密ね。じゃあ私も秘密」
 微笑むホンシア。私は知ってるのだけれど、と思いながら、アリスも微笑んでしまう。
「日本には何しに? 留学?」
「えっと、お仕事よ」
「お仕事、ね」
 意味有りげに笑うホンシア。銃口は下を向いていた。
「飛ぶのが上手みたいだけど、他の魔力も使えるの?」
「ええ。壊したり切ったり、火をつけたり物を冷やしたりも出来るわ」
「全部出来るの?」
 驚いた表情を見せるホンシアに、若干アリスの緊張が緩む。
「そうよ、全部」
「凄いな……私は飛ぶのが精一杯」
「練習すれば出来るんじゃないかしら?」
「練習したんだけどね。全然駄目だった」
 ホンシアは笑いながら言った。
「それは残念だわ。楽しいのに」
「飛んでるだけでも楽しいけどね。あっ、そうだ」
 何を思いついたのか、ホンシアが声を上げる。

 次→「再会」 Part2

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『Respective Tribute』 第3章「再会」 Part2

 前→第3章「再会」 Part1

「えっと、アリス。折角だからちょっと飛行の腕前を見せてよ。私より飛ぶの上手いんでしょ、アナタ」
 笑顔のまま、ホンシアが言った。だが、アリスは見逃さなかった。
 魔導士は集中力が高い。大シンボルであり、人間以上の身体能力を持つアリスなら尚更である。ホンシアの右人差し指がさりげなく銃のトリガーに掛けられたことに、彼女は気付いていた。
「まずはさ、くるっと横に1回転してみて」
 それは、戦闘開始の合図だった。
「えっと……」
 回転すれば、背中も見えてしまう。それは出来ない相談だった。心を決めたアリスは、にこやかに、天使のような愛くるしさを湛えた笑顔でこう謝った。
「ごめんなさい」
 アリスは即座に背中に張り付けていたバールのようなものを頭の上まで加速度で上昇させ、両手で力強く握り、自分の腕力に加速度発生の魔力を加えた豪速の鈍器として振り下ろした。
 視認出来ないほどのスピードで振り下ろされたそれは、アリスの脳内ではただの峰打ちだった。バールのようなものはホンシアの頭部を打ち付け、彼女は頭上に星を回転させながら気を失うはずだった。だがそれはアリスの想像でしか無く、実際は人間の頭部を粉砕するのに充分な威力を持っていた。

 僅かに後退していたホンシアがそれを避けられたのは、幸運と言う他無かった。

「ちょっと、避けちゃダメよ」
 アリスはバールのようなものを振り上げ、構え直しながら言う。構え直したその姿は、バッターボックスに立つ野手のようだった。
「避けちゃ駄目って、避けなきゃ死んでたって!!」
 自分の幸運と直前の恐怖に肝を冷やしたのか、ホンシアの顔からは汗が噴出すように出ていた。
「そうかしら?」
「きっと脳髄をブチ撒けながら、地面に落下してた。アナタにとっては望み通りのことかも知れないけどっ!」
 怒りの表情を露わにするホンシアに対して、アリスは首を傾げる。
「私はただ、貴女を捕まえたいだけだわ。殺しちゃ駄目って、言われてるもの」
「全然っ、そうは見えなかったって!」
「うーん、それじゃあもっと手加減して……頭狙ったのも駄目ね、もっと別の場所を……」
 ブツブツと独り言を言いながら、バールのようなものの握りを調節し始めるアリス。その隙にホンシアがライフルを構え、銃口をアリスに向けた。
 だが、遅すぎた。
 ホンシアが銃口を向けた瞬間、アリスは既にホンシアの右手側、ライフルの銃身のすぐ真横にいた。ホンシアは驚愕の表情を浮かべ、その目がアリスの得物を追ってライフルの下に向かう。
 彼女は見てしまっただろう。アリスの両手で握られたバールのようなものが野球のバットのごとくスイングし、今まさにボールに見立てた何かを打とうとする瞬間を。
 アリスとホンシア、目線の高さはほぼ同じ。アリスにとってのストライクゾーンにあるのは即ち、ホンシアの腹部。速度を抑えているはずの攻撃が、内臓を潰す凶器の運動として命中しようとしていた。
 アリスの僅かな手加減により、ホンシアには理解する時間もあったのだろう。恐怖する時間もあったのだろう。覚悟する時間もあったのだろう。
 だから、助かる時間もあったのだろう。

 ホンシアの腹部を直撃するはずだったバールのようなものが金属音を響かせ、突然その運動を停止した。アリスの持つバールのようなものの先端付近。ホンシアの腹部の左、直角に曲がった爪の側面。そこに第三者の剣身があった。
 ホンシアの直下にいつの間にか現れた、1人の男。切り揃われた黒い髪、薄茶で薄手のロングコート、端正な顔はどことなく、アリスに近い雰囲気を感じさせる。その男の剣が刃先を上に向け、バールのようなものを受け止めていた。
 アリスはバールのようなものに力を込めたまま、男の顔を確認する。そして驚いた表情を一瞬だけして、すぐに苦々しい表情を浮かべた。

 こんなのは何度もあったわ。
 お互いに信頼してたから、何度あろうと大丈夫だった。
 お互いのため、お互いがより強くなるために。
 守るために、叶えるために。
 それでも、こんなのは初めてだわ。
 貴方が私の邪魔をするなんてことは。

「どうして……」
 どうしてなの、ローエングリン――

 次→「再会」 Part3
 

『Respective Tribute』 第3章「再会」 Part3

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 その湖には微かながら、薄白い霧が掛かっていた。薄曇りの朝を思わせる柔らかい光が湖面を銀色に鈍く輝かせ、雪原の銀世界にも似た静寂を醸し出している。
 そして静かなその世界を破壊するかのように、アリスの声が響き渡る。
「ていやぁぁあああーーー!!」
 バールのようなものを振り下ろした先に、剣と男がいた。真っ白な世界に合わせたかのような白の髪と白のロングコートの男。その男が両手で握り締めている剣によって彼女のバールのようなものは受け止められ、受け流される。力を込めたアリスの武器は傾けられた剣に沿って滑って行った。
 「また……!」
 即座に男から飛び離れ、距離を取るアリス。
 湖面から数メートル上、薄霧の中で2人は戦っていた。戦いというよりは訓練であり、遊びである。自分の力を誇示するためにこれを申し込んだアリスであったが、逆に相手の技量を見せ付けられる結果となった。
 これまでに3回戦い、アリスの全敗。彼女の攻撃は悉くかわされていた。攻撃を受け流し、隙の出来た瞬間に勝負を決する。それが守護のイメージから生まれた大シンボル、『守護の王』の称号を名付けられたローエングリンの戦法だった。
「もっと積極的に戦って欲しいわ」
「力任せのお前には、頭を使わないと勝てる気がしない」
 その言葉が遠回しに自分を馬鹿にしているように聞こえて、アリスはむっとする。
「私だって、頭を使っているんだから」
 アリスは加速し、先ほどと同じようにバールのようなものを振り下ろす。ローエングリンも同じように受け止め、そのまま受け流そうとする。
「させないわ!」
 アリスは魔力を高め、ローエングリンが耐え切れない程の圧力でバールのようなものを押し当てた。
「ぐっ……」
 自身の腕力と魔力で受け流すには重すぎる力なのだろう、ローエングリンの表情は険しくなる。勝てる。そう確信したアリスはさらに力を加え、押し切ろうとする。
 だが、思いもよらないことが起こった。ローエングリンの身体全身がまるで時計の針のように回り始めたのだ。剣とバールのようなものが凌ぎ合う点を中心として、下を向いていた彼の両脚が上に向かって弧を描く。
 その奇妙な行動にアリスは呆気に取られ、そして我に返った時には既に遅かった。剣の傾きではなく全身の傾きによってアリスの全力は受け流され、バランスを崩した彼女は湖に突っ込みそうになる。必死で押さえ留めたアリスはどうにか湖に落ちずに済んだものの、首の後ろに刀身の冷気を感じ、認めるしかなかった。
「私の負けだわ」
「4戦4勝だ。もう少し頭を使った方が良い」
 そう言って、ローエングリンは剣をアリスから離した。
「あんな変なやり方、ずるいわ」
 もう少し頭を使った方が良い。先ほどよりも直接的な物言いが、負けただけでも充分悔しいアリスをさらに不機嫌にさせていた。
「相手の考え付かない事をする。そうすれば相手に隙が出来て、勝利の糸口が見出せる。戦いは自分の力と相手の力を如何に利用するか、それが重要だ」
「むぅぅ……」
 悔しさを包み隠さず表情に示すアリス。一瞬、ローエングリンが鼻で笑ったかのように見えたので、彼女は手に持っていたバールのようなものを思いっきり振ってしまった。
「がっ……!?」
 激痛に顔を歪めるローエングリン。アリスの一撃は、見事に彼の右足を殴打した。
「やった、当たったわ!」
 初めての有効打にアリスがはしゃぎ出す。
「相手の考え付かない事って、つまり不意打ちが強いってことだったのね」
「それも……ひとつだが……」
 身体を丸めて、あざが出来た脚を手で押さえるローエングリン。
「大丈夫?」
 アリスは心配そうに顔を覗き込む。それと同時に、湖の何処かから声が聞こえてきた。
「ローエングリン!? ちょっとアリス、貴女何したのっ!」
 『構造体』の1つ、『トルソー』での2044年、6月。
 アリスと奈々子が出会う半年前であった。

 次→「再会」 Part4

『Respective Tribute』 第3章「再会」 Part4

 前→「再会」 Part3

 湖に浮かぶように建つ休息所で、3人はテーブルを囲んでいた。
 湖に落ちないよう、柵がぐるりと張られた円形の床。そこに円柱が立ち並び、上には円形の屋根が乗っている。そしてテーブルも椅子も円形。真っ白な円で統一されたその場所からは、湖の全方位が見渡せた。
 静かにして幻想的な湖を望むための建築。だがアリスは、どうもこの建物が気に入らなかった。正確に言えば、湖も含めて。白を基調としたこの空間が全て、エルザがローエングリンのために作ったとしか思えなかったからだ。
 エルザ――アリスの暴撃で腫れたローエングリンの脚に包帯を巻く、栗毛色の髪の少女。肩まで伸びた髪は少し巻き気味であり、アリスのストレートに比べ幼くも見える。あどけなさと好奇心溢れる瞳の輝きは、まるで少女の心情を映し切っているようでもあった。
 やっぱり、私って邪魔なのかしら。 
 穏やかな微笑を浮かべつつローエングリンの手当てをするエルザを見ながら、アリスはそう思わずにはいられなかった。
 
 アリスが生まれ故郷を離れる際に、人間世界の案内役として付けられたのがローエングリンだった。ローエングリンに学ぶことで、人間に溶け込めるようになるだろう。そんなようなことを言われたアリスだったが、お目付け役として付けられた気がしてならなかった。
 ローエングリンとアリスは1年かけて世界の主要都市、いくつかの『構造体』を回った。その間、何度も立ち寄ったのがこの『構造体』、『トルソー』だった。
 『トルソー』は人間の胴体をモチーフにしたようにも見える、全長2500mの巨大建造物である。大部分はノルウェー海の底に埋もれており、アリスとローエングリンは入城する度に『トルソー』の潜水艦を使用する必要があった。位置も陸からは離れており、そこまでの手間をかけてまで何度も通う理由はアリスには存在しなかった。しかしローエングリンは『トルソー』を拠点とすることを命令されていたため、アリスも渋々付いて行く他無かったのである。

「ホントに、アリスったら乱暴なんだから」
 包帯を巻き終えたエルザが、アリスの方を向いて言った。
「悪いことをしたわ。ごめんなさい」
 そう言いながらも、微笑ましくエルザを見ていたアリスはつい、にやついた表情をしてしまった。
「本気で悪いと思っているようには見えないわ、もう」
 不満そうにエルザは言ったが、ローエングリンに向き直るとすぐに笑顔に戻った。そんなエルザの愛嬌が眩しいのだろうか、ローエングリンは無言だ。
 2人の姿を見ていると、アリスの口元は自然に緩まってしまう。片や命令に従い、世界を探索する白い騎士。片や愛らしさを纏い、天衣無縫な少女。大シンボル『守護の王』と、『トルソー』の城主。夢物語が現実の光景となっているような2人は、『夢の女王』であるアリスが望む世界を具現化していた。
 まるでおとぎ話の王子様とお姫様みたいだわ。この2人みたいに、世界がもっと素敵になれば良いのに。
 アリスはそう思いながらも、2人だけの世界に紛れ込んでしまったことに居心地の悪さも感じていた。もし湖の霧が無くて、空が青だったら。そしてこの建物が別の色だったら。私ももう少しは居やすくなるのかしら。そんなことを思う日も、時々あった。
「ここにはあと何日居るの?」
 エルザの問いに、ローエングリンはしばし沈黙した後、答えた。
「まだ決めていない。アリスが飽きる頃には出て行くつもりだが」
「もう飽きてるわよ」
 そもそも『構造体』の中が窮屈だから外に出たアリスだ。出来ればローエングリンだけここに置いて、自分独りで行きたかった。
 真面目なローエングリンは許してくれないでしょうけど。
「なら、もう外に出るか」
「……冗談よ。もう少しここに居たいわ」
 そう言うしかなかった。一瞬、エルザが不安な表情をしたから。
「ねぇ、ローエングリン。もう『女王』の命令なんて無視しちゃえば良いのよ。そうすれば外に出なくても良くなって、ここでゆっくり暮らせる。そうでしょ?」
 エルザの言葉の中の単語に、アリスは反応してしまう。
 『女王』――倒すべき相手。
「そういうわけには……行かない」
 静かに首を横に振ったローエングリン。
「聖杯なんて物が何処にあるかは分からないが、命令は命令だ。アリスの案内のついでにでも、やらなければならない」
「ついでだったら、やらなくても良いのに」
 アリスはわざと不機嫌そうに言った。
 ローエングリンが『女王』から下された命令、聖杯の探索。聖人の血を受けたその杯には神秘的な力があると、アリスはローエングリンから聞かされていた。だが、アリスにはさほど興味のある物では無かった。
 もし私が奪い取れたら、『女王』は嫌な顔をするのかしら。でもそんな物を探すより、ローエングリンにはエルザと居て欲しいわ。
「……正直な所、最近少し飽きてきた」
 ローエングリンの言葉に、アリスは少し驚いた。思い起こしてみれば、確かに近頃のローエングリンは人間都市に行っても外出せずに、ただ本を読んだり、外の景色を眺めたりと様子がおかしかった。
 あれはそう、聖杯探しがつまらなくなってきたって事だったのね。
 いつも「命令」で動いていたローエングリンがそのような感情を抱いていたことに、アリスは嬉しくなった。
「そうよね。やっぱり飽きちゃうわ」
 嬉しさを口元に現しながら、アリスはうんうんと頷く。
「それなら、今回はゆっくりしましょう。せめて暑い夏が終わるまで、のんびりと」
「そうだな……それも良いかも知れない」
 それを聞いたエルザは、「本当!?」とはしゃぎ出した。
「それならローエングリン、ここに居る間、外の世界のことをいっぱい聞かせて欲しいの。今までちょっとしか聞く時間が無かったから、お願い」
 優しく、しかしどこか寂しげに微笑むローエングリン。
「ああ。話なら語り尽くせない位、山ほどある」
 エルザは『トルソー』の城主。アリスやローエングリンのような大シンボルとは違い、外に出ることは出来ない。城主として、『トルソー』を守らなければならない。
 ここは少し退屈だけど、そんなエルザが喜んでくれるなら良いわ。退屈しのぎにはそうね、ローエングリンと勝負するのが一番ね。ローエングリンに負けてばかりなのも悔しいし、ここに居る間に勝てるようになりたいわ。それにもし勝てるようになったら、ローエングリンも何かお願いを聞いてくれるかも。そうしたらそうね、私独りで外の世界に行けるようにして貰って、ローエングリンにはずっと、エルザと一緒に居るように命令しちゃいましょう。
 それが良いわ、そうね、そうしましょう。

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『Respective Tribute』 第3章「再会」 Part5

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 それから6ヶ月の後のことだった。
「……行くのか」
 ホテルの椅子に座って、窓の外の景色を見たまま――英国の冬空は曇りだった。そんな寂しい景色から眼を移すことも無く、ローエングリンが言った。
「ええ。もう10連勝したんだから。貴方といなくても、ちゃんとやっていけるわ」
「それは勝負の面だけだ。人間の常識というものを、お前は弁えていない」
「それも問題無いわ。奈々子って日本人と一緒に日本に行くって、前に言ったでしょ?」
 アリスはいつもの「アリス服」の上にコートを羽織る。
 この国にいた本当のアリスも、こんな格好をしたのかしら。
「信用出来るのか、その女は」
「きっとね。これでやっと、念願の日本暮らしが出来るわ」
 アリスはローエングリンの背中に目を向けた。何処となく、元気が感じられない。
「もしかしてローエングリン、寂しいのかしら?」
「ああ」
 冗談めいて言ったのに、思いがけない言葉を返されたアリス。
「……貴方がそんな事言うなんて初めてね」
 アリスはローエングリンの傍に歩み寄る。
「最近何か変よ、ローエングリン。何かあったのかしら?」
「……」
 ローエングリンは、答えない。
「『トルソー』を出た辺りからよ。この3ヶ月、貴方ずっと不機嫌だったわ。前はもう少しだけ、笑っていたわ」
 ローエングリンは、答えない。
「何が気に入らないの、何がそんなに嫌なのかしら?」
「……なぁ、アリス」
 ローエングリンは、答えた。
「お前は『女王』のこと……どう思っている?」
 突拍子も無い質問に、アリスは面食らった。
「いきなり何を言うのかしら。そんなの決まっているわ。大嫌い。いつか必ず、あのふんぞり返った態度に一撃食らわせて、目に物見せてみせるわ」
 アリスは拳を握り締めながら、地べたに這いつくばる『女王』を想像した。
「そうか……」
 ローエングリンは何事かを考えるかのように目を閉じ、黙った。
「ローエングリン……?」
 沈黙が部屋に張り詰める。しばしの後、ローエングリンが口を開いた。
「……いや、何でも無い」
 余りにもな言葉に、アリスは拍子抜けしてしまう。同時に、ローエングリンの態度に沸々と怒りが込み上げて来た。
「言いたいことがあるなら、ハッキリ言いなさい!」
 大声を出し、アリスはローエングリンの前にあった木製のテーブルを拳で叩いた。四本の脚が衝撃で折れ、テーブルが崩れ落ちる。
「行くなら早く行け……待たせているんだろ、連れを」
「連れじゃないわ。奈々子よ」
 最後まで窓の外の景色から目を離さなかったローエングリンに背を向け、アリスは部屋の入口に向かって歩き出した。途中で旅行鞄を拾い、ドアの前まで行った所で、足を止めた。
「ローエングリン」
 アリスはローエングリンの方に向き直す。
「私の方が強いんだから、もう1つお願い、聞いて貰うわよ」
「……何だ」
「エルザのこと、これからずっと守ること。いいわね」
「……それだけは」
 そこで言葉を切り、ローエングリンが静かに立ち上がる。やっと窓の外を見るのを止め、彼はアリスと正対した。
「それだけは、絶対に守る。約束だ」
「約束……そうね、約束よ」
 アリスは笑顔で返した。ローエングリンは笑っていなかったが、アリスは信じることが出来た。
 ローエングリンが何を考えているのかは分からないけど、今もローエングリンは、エルザの事を大事に思っている。この約束だけは、必ず守ってくれる。だから私は、安心して奈々子と行ける。
「遅れるぞ」
「ええ……約束よ、ローエングリン」
 機嫌が悪いのは、きっと『女王』に嫌な命令でもされたんだわ。それで機嫌が悪いのよ。今は駄目でも、その内いつものローエングリンに戻る。晴れない曇り空が無い様に、いつか。
 アリスはそう信じて、部屋を出た。
 アリスはそう信じて、奈々子の元へ向かった。
 そう、信じていたのに。

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