不思議の国の軟体鉱物

2017-08

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『Respective Tribute』 第4章「紅霞の向こう」 Part10

 前→「紅霞の向こう」 Part9

 アリスは抱擁の拘束を解き、ベイビードールの頬を2度、優しく叩いた。
「久しぶりね、ベイビードール」
 ベイビードールは「ぐあぁ」と獣のような声で答えた。その瞳は、動物のような無垢を湛えている。
「とにかく座って。お話しましょう」
 アリスは近くにあった空き椅子を自分たちのテーブルの前まで引き、ベイビードールを座らせる。そして先ほど立ち上がった時に倒れた紙袋に気付き、こぼれた品々を袋に突っ込んだ後、再び椅子の横に立て掛けた。
「こんな所で会うなんて、まるで奇跡みたいだわ」
 目を輝かせながらアリスは言う。ベイビードールは「がぁ、ぐああ」と、またも言葉にならない声を発した。
「……何て言ったの」
 ホンシアが怪訝な顔をして言った。
「私にもわからないわ」
 不審な者を見る目つきに益々変わっていく、ホンシアの両目。それとは対照的に、アリスはつい先ほどまでの沈黙が嘘のように屈託の無い笑顔を見せた。
「ねぇ、ベイビードール。どうしてこんな所にいるの。この近くに住んでいるのかしら?」
 アリスの問いかけに対する反応なのか、ベイビードールは着ぐるみの腹部にある大きなポケットからペンと薄い板を取り出した。
「なにかしら、それ?」
 ホンシアとアリスが見つめる中、ベイビードールは板に何やら書き始めた。
「ぐぁ」
 ベイビードールは板を引っくり返し、裏面をアリスたちに見せる。裏面には白い紙が貼ってあり、曲がりくねった筆跡で「ひみつ」と書いてあった。
「秘密って、せっかく会えたのにそれは無いんじゃないかしら」
 アリスが残念そうな表情で不満を吐く一方、何故かホンシアは興味津々といった様子でベイビードールが持つ板を見つめていた。
「ちょっと待って、これって……」
 ホンシアが人差し指で紙に触れる。
「液晶……?」
「液晶って?」
 アリスも板に貼ってある紙に触れてみる。その質感は紙とは全く違い、テレビの画面などと同様のものであった。
「もしかしてこれ、電子ボード……ペンで字が書けて、しかもこんなに自然に見えるなんて」
「えっと、どういうことかしら?」
 首を傾げるアリス。ホンシアは電子ボードから指を離し、背もたれに寄りかかった。
「超薄型のタッチパネル式電子ボード。軽量でしかも解像度も光度センサーもとんでもない、多分最新型の、高級品」
「よく分からないけど、そんなのを持っているということはお金持ちの人と一緒に暮らしているのね、ベイビードール」
 アリスの突飛とも取れる結論に対し、ベイビードールは小さく頷いた。
「やっぱりそうなのね。もしかして、住んでいる場所が秘密なのもそのせい?」
 ベイビードールは再び頷いた。
「そうなの……それじゃあしょうがないわね」
 すまなそうな表情で、ベイビードールは小さく「ぐうぅ……」と言った。
「あのー……話の腰を折るようで悪いんだけど」
 ホンシアが右手を顔の高さに挙げ、その右手で今度はベイビードールを指した。
「結局、この子って誰なの?」
「この子は、ベイビードール。私とは、昔からの仲良しなのよ」
 ベイビードールが電子ボードを抱えたまま、ホンシアに会釈した。
「変わった名前だけど……あだ名?」
 その言葉に、アリスは自分たちが人間で無いことを隠さなければならないことを思い出す。ベイビードールと再会したことの嬉しさのあまり、危うく奈々子との約束を破る所であった。
「ええ。でも本名みたいなものよ。ずっとそう呼んでいたから」
 我ながら上手い誤魔化し方だと、アリスは心の中で自画自賛する。
「幼馴染ということは、ローエングリンとも知り合いってこと?」
「ええ、もちろんよ」
 ベイビードールも頷く。
「ふーん…………まぁ、いっか」
 ベイビードールが現れてからずっと訝しげだったホンシアの視線が、穏やかなものに変わる。
「ケーキでも食べる?」
 アリスの前にあったチーズケーキの皿を、ホンシアはベイビードールの前に移動させた。
「あっ、それは私のだからダメよ!」
「久しぶりの再会なんでしょ。ケチなこと言わない言わない」
 ベイビードールは下手な字で「ありがとう」と書いた電子ボードをホンシアに見せると、チーズケーキを右手で掴み、小さな口を大きく開いて食べ始めた。
「……どういたしまして」
 ぎこちない2人のやり取りを見ながら、アリスは少々不機嫌になりつつ残ったプリンを食べ始めた。

 次→「紅霞の向こう」 Part11

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