不思議の国の軟体鉱物

2017-05

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『Respective Tribute』 第5章「約束」 Part1

 前→第4章「紅霞の向こう」 Part13

 そして、その夜。
 アリスとホンシアは大量の紙袋と共に待っていた。
 ホンシアとアリスが最初に出会った場所であり、アリスとローエングリンが再会した場所。その場所に聳える高層ビルの屋上で、彼女たちはローエングリンを待っていた。
 そういえば、とアリスは思う。退屈な世界から出る時は、いつも屋上から飛び立っている。自分らしく宙を舞うことも、ホンシアやローエングリンとの出会いも、全て屋上から始まっている。
 空に近い屋上の先にこそ、自分の求めるものがあるのかしら。アリスは誰も来ない夜空を見上げながら、そんなことを考え始める。
「遅いね……」
 ホンシアがため息のように呟く。昼間、オープンカフェで『女王』の写真を見たアリスは、有無を言わさずホンシアに連絡させた。その連絡に応え、ローエングリンは約束した。この時間、この場所で会うことを。
 アリスには会う必要があった。ローエングリンは『女王』の忠実な部下だった。それなのに裏切るとは一体、どんな理由で。その事情次第では――いや、既にローエングリンの事情など、アリスの知ったことでは無かった。
 もはや目を背けることなど出来ない。アリスの心は、その覚悟を決めていた。
 夜空の一角が不意に歪んだのを、人工の光が照らし出す。
 来た。
 アリスとホンシアは紙袋を置き去りにして、ほぼ同時に空中へと舞った。彼の本心を、聞くために。

 そして、その夜。
 奈々子もまた人を待っていた。
 指定されたのはホテルの8階にあるレストラン、その入口から見て右手、窓際の角席。奈々子は壁を背にして座り、頬杖を突きながら入口をじっと見つめていた。
 ここに来るのは陰島俊二本人なのか、それとも部下なのか。本人が来る可能性は低い。信用出来るか分からない相手に会うなど、そんなリスクを負う必要は無い。そうは分かっていても、奈々子は陰島俊二の顔がレジスターの横を通り過ぎる瞬間を、今か今かと待ち侘びていた。
 彼の本心を、聞きたいために。
 そして、その時が来る。写真で何度も確認したあの初老の男性が入口に現れ、奈々子の方を向く。奈々子は立ち上がり、斜め15度の角度でお辞儀をした。陰島は満足げな笑みを浮かべながら、奈々子の座る席へと歩み寄った。
「警戒もせずに来るとは、大したお嬢さんだ。会えて嬉しく思うよ」
「これでも充分なくらい警戒しています。失礼に当たらない程度には、ですが」
 陰島はちらりと、隣のテーブル席に座っている第三者を見た。
「まぁ、いいだろう。お互い護衛付きということで、座ろうじゃないか」
 陰島が向かいの席に腰掛けてから、奈々子もゆっくりと腰を下ろした。
「さて、と」
 奈々子は陰島の後ろに立っている若い男に目の焦点を合わせた。ブラックスーツの長身に、オールバックの黒髪。陰島俊二の秘書、神崎忠光。奈々子が調べた陰島一族の魔導士、その中の1人である。
「遅ればせながら、自己紹介だ」
「それなら、私からさせて頂くのが筋だと思いますわ」
「そんなに畏まらなくても良い。君のお父上とは、何度かお会いしたことがあるのだから」
 その言葉に、奈々子の眉がぴくっ、と反応する。
「父は……この件には」
「全くの無関係だ。心配しなくても良い」
 奈々子は内心安堵してしまう。そんな自分に気付き、どこかでまだ父親を信用していることに情けなさを感じつつ、彼女はそれらの感情が発露するのを抑えた。僅かな動揺ですら、この場では命取りになるかも知れないのだから。
「心配など……私はただ、貴方のやろうとしている事、それを少しでも知りたいだけなのです」
 陰島は歯が見えるほどニヤリと、口を歪ませた。
「少しとは、これはまた。謙虚と言うよりもむしろ、卑屈に見える」
 ジェスチャーの如く、陰島は伏せていた両掌を天井へと翻した。
「全部だ。可能な範囲でだが、全部教えて差し上げよう」
 予想外の言葉に、奈々子は面食らった。その動揺が表情に表れてしまったからなのか、陰島は「フフッ」と笑いを漏らす。
「さて、何から話すべきか」
 顎に右手を当て、考え始める陰島。
「……おっと、忘れていた」
 顎に当てていた手を今度は胸に当て、彼はこう言った。
「陰島俊二と申します。どうぞ宜しく」
「……志村奈々子です。宜しくお願いします」
 奈々子は思う。どうして魔導士というのは変わり者しかいないのだろうか、と。

 次→「約束」 Part2

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