不思議の国の軟体鉱物

2017-10

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『Respective Tribute』 第7章「嘘」 Part13

 前→「嘘」 Part12

 全身全霊を込めた射撃の後、ホンシアはゆっくりと腰から崩れ落ちた。立つことも難しい出血。戦うことの出来ない重傷。だが倒れる直前、彼女の目は確かに捉えていた。『女王』が痛みに怯んだ、その動きを。
 もしかしたら、もしかしたら。ホンシアの中で生まれる淡い期待。あの弾丸があの化物の頭か心臓を貫いている可能性。ただそれだけが希望であり、それ以外は全て、考えるに及ばない想像ばかりだった。
 ホンシアはどうにか自分の射撃の結果を確認しようと、手足に力を込めて立ち上がろうする。顎を引き、屋根を手の平で突いて――カシャッ、と瓦の鳴る音がした。
 ……畜生。
 ホンシアは仰向けのまま、音のした方向に短銃を構える。ゆっくりと顔もそちらに向けると、案の定そこには血まみれの『女王』がいた。
 畜生。
 殺せなかったゴール。果たせなかった夢。ホンシアにとって、『女王』のその姿は実体化した悪夢であった。
「手ひどくやられている様だな、周紅霞」
 震えて照準の定まらない右手、ホンシアは左手を右腕に添える。今度は両手両腕が震えだした。
「よくぞその傷で、そんな銃で私を……」
 傷と痛みだけが原因では無かった。彼女は怯え切っていた。殺すはずの相手に殺される、この状況に。
 嫌だ……
 恐怖に背を押され、ホンシアは引き金に指を掛ける。その瞬間、無力にも短銃は2つに切断され、落ちた部品が乾いた金属音を立てた。
 抵抗すら許されない残酷、運命に従う他無いという絶望。ホンシアは泣いてしまいたかった。夢なら覚めて欲しかった。
 壊れてしまいそうな心で、それでも彼女は銃の残骸を握りしめ、構え続ける。それが最後の意地。殺せないまま殺されたくはないという、最期の意思表示だった。
「……ホンシア、君のことは調べさせてもらった。君の両親のことも」
 憐れむような目でホンシアを見下ろしながら、『女王』は言葉を続ける。
「君の父親の会社が破綻に追い込まれた件、確かに我が社の傘下企業がその一翼を担っていた。だが、君の両親が死んだのは完全な事故――」
 「いや」と小さく呟き、『女王』は首を振った。
「そこまで君の両親を追い込んだのは、やはり我々なのだろう。そう、そうだとしても、私は君を殺さなければならない。殺さなければならないのだ、周紅霞」
 黙れ、黙れ、と心の中で拒絶しながら、ホンシアは『女王』を殺す糸口を考え続けた。
 何も、浮かばなかった。
「私の部下が2人、君に殺された。彼らの鎮魂のためでもあるが、それ以上に私自身の誇りのために、私は君を殺さなければならない。部下を殺した敵に対して、私は寛容でいたくは無い。命がけで立ち向かって来た勇士に対し、手加減もしたくは無い。本当に、本当に申し訳無いが、周紅霞、君には死んでもらう。私の、この手で」
 振り上げられる『女王』の右腕、その肩口には明らかな弾痕があった。自分の成果をその目で確認した時、ホンシアの中で何かが込み上げて来た。
 そして気付いた時には、涙が頬を濡らしていた。
 『女王』は殺せなかった。でも、ただ無様に殺されるだけじゃない。少なくとも、届いた。見果てぬ頂点に、弾を当てることが出来た。その事実にホンシアは自身のゴールを見た。
 全く無力のまま死ぬような終わりじゃない。かと言って、見事な射殺を成し遂げるわけでもない。一矢報いた、それだけの終わり。それが自分に相応しい結果であると、彼女は納得してしまった。狙撃手として思い残すことが無い、そう思えるほどに。
 それなのに、彼女の涙は止まらなかった。
「ホンシア……もし君ともっと早く、私の部下を殺す前に出会えていたら、きっと私は何としても君を仲間に引き入れようとしただろう。それが残念でならない」
 どうして、私、泣いてるんだろう……
「今まで多くの狙撃手が私を撃とうとした。だが、成功したのは君だけだ、周紅霞。つまり君は私が知る限り、世界で最高の狙撃手なのだ」
 とても寂しい……頑張ったのに、思い残すことなんて、無いのに。
「その技術、精神へ敬意を払い、周紅霞、君の事は忘れない。君が死んだ後も多くの者に語れるように。君の存在が人々の精神からも消えてしまわないように」
 狙撃手として、立派に……
「狙撃手、周紅霞。その名を決して、忘れない」
 違う……違う……!!
 否定の声を出そうと喉に力を入れようとするも、その喉は目の前を過ぎった手に切り裂かれていた。
 噴出す血液が『女王』を染める。ホンシアを染める。構えていた両腕が力を失って崩れ、それも血に染まる。
 違う、私は……狙撃手として死にたかったんじゃない……
 走馬灯のように、ホンシアの心に涙の理由が浮かんで行く。父の顔、母の顔、友達だった少女たちの顔。何気ない食卓、退屈だった授業、楽しかったふざけ合い。たった7年前までありふれた日常だった情景。
 両親と共に失ったものを、復讐の先に求めただけ。狙撃なんてその手段に過ぎないのに。狙撃手としての自分は、一時の役割でしかないのに。そんな役割を終える事無く、そんな役割を「周紅霞」として記憶されて、あの懐かしい時間を取り戻せないまま、死ぬなんて。
 そんなの……嫌なのに……

 ――ホンシア……!

 声が……あぁ、アリス、アリスの声か……あの子は……そうだ、あの子といた時間は、どこか……懐かしくて……
 そっか……あの子がほんの少しだけど、取り戻して……
 ありがとう……ありがとね、アリス……
 どうか……忘れないで……私のことを――

 ごく普通の少女だったホンシアは、事切れた。
 山の陰に沈む夕日、その消え行く赤に照らされながら。ごく普通の願い、死に行く人間として当然の願いを胸に秘めたまま。
 発せなかったその願いを聞き入れられる者は、もはやいない。その思いを伝えられる相手など、何処にもいない。
 死んだ女にはもう、誰も、いない。

 次→「嘘」 Part14

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