不思議の国の軟体鉱物

2017-11

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『Respective Tribute』 第4章「紅霞の向こう」 Part6

 前→「紅霞の向こう」 Part5

「えっと、貴女とローエングリンは、どうして出会ったの?」
「私が今の雇い主に頼まれてね。今回の仕事を手伝ってくれそうで、優秀な魔導士が欲しいって。それで私が色々探していたら、アイツがコンタクトを取ってきたってわけ。無名の魔導士だったけど、魔力は強かった。信用は出来なかったけどね」
「信用出来なかったのに、どうして一緒にいるの?」
「雇い主がひどく気に入っててね。何か理由があるんだろうけど」
「理由って、何かしら?」
「さあ?」
 肝心の部分を答えて貰えず、アリスは少しムッとした表情をしてしまう。
「ただ、目的が一致したんだと思う。そんな気がする」
「目的って、何かしら」
「それは言えないわ。トップシークレット、ってやつね」
「誰か……殺すの」
 ホンシアはその言葉に口を噤む。そして、ゆっくりと頷いた。
「それじゃあ、ローエングリンが誰かを殺しがっているってこと?」
「多分……そうだね」
 信じられないと、アリスは思った。ローエングリンが自分の意志でそんなことを望むなんて。もし誰かを殺すとしたら、それは『女王』の命令以外に考えられないことだった。
「本当に、ローエングリンは『女王』の命令で動いていないのかしら」
「前にも言ったよね。私は違うと思う」
 ホンシアは何かを振り払うかのように、ううん、と首を横に振った。そして、低く、力強い声で言い直した。
「それだけは絶対に、無い」
 その声はまるで、殺意のようだった。
「でも、私の知ってるローエングリンは誰かを殺そうなんて、そんなこと思ったりしないわ」
「……きっかけがあれば、人を殺したいって感情はすぐに生まれるものだと思う」
 ホンシアは何処か、遠い昔を思い出しているような眼差しで言った。
「きっと、ローエングリンにも何かあったんだよ」
 その眼差しは、高層ビルの輝きに夜が浸食されているような、そんな摩天楼の夜景に向いていた。
「それは……貴女にも?」
「……私の事、私の経歴とか、もう知ってるんでしょ?」
 その言葉に、アリスは彼女の不幸な経歴を思い出す。アリスは同情の念を覚えつつ、小さく頷いた。
「私の場合は両親が死んで、行く当てが無かったから。そんなものだよ、理由なんて」
「そんなものって……」
 自分の親が死んでしまったことが、「そんなもの」で済んでしまうのか。アリスはその疑問に対する答えを、口調とは裏腹なホンシアの目付きから感じ取れた気がした。
 もしかしてホンシアは、寂しいのかしら。お父さんとお母さんがいなくなってからずっと、独りぼっちで。でもそれと人を殺すことと、どんな関係があるっていうのかしら。人を殺したら、もっと辛くなると思うのに。
「人を殺して、貴女は平気なの?」
 うーん、とホンシアは考える仕草をして、呟いた。
「人を殺したこと、ある?」
 アリスは首を振った。それをホンシアは横目で見る。
「狙撃銃で人を殺すのってね、簡単なんだと思うんだ。頭や心臓を狙って、意識を集中して、引き金を引くだけ。相手の怖がってる表情とか、殺した時の感覚とか、そういうのを覚えなくて良い。深く考えなければ、ただ鉄の塊を弄くるだけ。それだけのこと。アナタの持っているバールのようなもので叩くのより、ずっと易しい。私の心にも、私の身体にも」
「怖くないの?」
「怖い……かぁ」
 ホンシアは両手をこすり合わせる。春が訪れていても、高所の風は冬の冷たさに近かった。
「どうして、怖いって思うの?」
 どうして――どうしてかしら。
 人を殺めるという行為に対する嫌悪。それは確かにアリスの中にあった。しかし、彼女は殺人というものを上手く想像することが出来なかった。まるでそのように思考回路が組まれているような、不思議な感覚を彼女は覚えた。
「分からないけど、怖いわ」
 そう答えるのが、精一杯だった。
「同じ。私もね、怖い。何人殺しても、怖い」
 意外な言葉に、アリスはホンシアの顔を見た。
「怖いのに、どうして殺すの?」
「殺さない方が怖いから……かな。私には、これしかないから。自分らしく生きる方法は、これしかない。それ以外の道を選んだら、きっと自分じゃなくなる。それはとても怖いことなんだ」
 きょとんとした眼で、アリスは尋ねた。
「ホンシアは、人を殺さないといけないの?」
 ホンシアは、その質問と眼に何を感じたのだろうか――まるで羨むかのような視線をわずかにアリスへと向け、そして屋上のコンクリート床を見つめ出し、黙ってしまう。
「ホンシア……?」
 アリスの呼びかけ。静かに、ゆっくりとホンシアが口を開いた。
「本当なら、誰も殺さない人生が良かったんだと思う。でも、そこまで幸せになれなかった」
 ホンシアの答えは、アリスに3つの問いを生まれさせた。
 人を殺しているホンシアは、もう幸せになれないのかしら。
 誰かを殺そうとしているローエングリンは、幸せでは無いのかしら。
 そして、誰かを殺すなんて想像も出来ない私は、幸せなのかしら。
 しかしそれらの問いはすぐに霧散した。アリスは、その答えなんて考えたくも無かったから。そんな問題自体、ナンセンスだと思い直した。
 気付くと、寂しげで優しげな微笑みでホンシアがアリスを見つめていた。
「次はアナタの番。聞かせて、ローエングリンのこと。それと、アナタのことも」

 次→「紅霞の向こう」 Part7

『Respective Tribute』 第4章「紅霞の向こう」 Part7

 前→「紅霞の向こう」 Part6

 アリスはゆっくりとした口調で語った。脚色し、偽り、それでも語れることを。
 生まれた場所はイギリスの田舎町にした。本当は、太平洋の深海なのに。ローエングリンは近所に住んでいる、昔からの付き合いということにした。本当は、『構造体』から出る時までほとんど話したことも無かったけど。世界中を旅して、ある場所でエルザという少女と仲良くなった。これは本当。そこで何ヶ月か過ごした後、アリスは日本に行くことにして、ローエングリンと別れた。
 そのような内容をアリスは語ったが、奈々子のことは話さなかった。奈々子が口にするなと言いそうな事も、アリス自身が言いたくないことも言わなかった。真実ではないが、ローエングリンとアリスの今までを表すには充分な、そんな作り話をした。
「これが、私とローエングリンの今までよ」
 所々で相槌を打ちながら話を聞いていたホンシアは、「なるほどね……」と言いながら何度も頷いた。
「結構普通の人生だったんだね、アイツも。もっと壮絶かと思った」
 ホンシアがどんな人生を想像していたか、アリスは考えないようにした。ホンシアの人生より悲しい人生なんて、想像したくも無かったから。
「でもそれがどうして、こんな世界に?」
 こんな世界――人殺しの世界。
「そんなの、私が聞きたいわ」
 アリスの答えに自分と似た事情を想像したのか、ホンシアは気まずそうに眼を逸らした。
「えっと……ローエングリンって、昔はもう少し愛想良かったの?」
「少しはマシだったわ。私が日本に行くちょっと前くらいから、どんどん無愛想になっちゃったのよ」
「原因って、心当たりある?」
「あったら、こんなに悩んで無いわ。本当、誰かの心の中って全然分からないわ」
 アリスは膨れっ面をして、夜の街並みへと目を移す。
 もしあっちの方からローエングリンが飛んできたのなら。夜風と一緒に、ビルの隙間を縫うようにして。そうしたら、バールのようなもので叩いてでも本心を聞かせて貰うわ。ホンシアが知っていたのも、貴方の外側だけだったから。
 そうよ、ローエングリン。貴方はまるで、卵みたいだわ。塀の上でうまくバランスをとっているから、割れたりしない。だから、中身も見えないのね。だったら、叩いて落とすだけ。一度落とせば、それでおしまい。何もかも、まる分かりよ。
 そんなアリスの思考を否定するかのように、ホンシアが言葉を発した。
「確かに他人の心は分からないけど」
 アリスの耳がその言葉に反応する。
「だから人と話すのって楽しいんだと思う。お互いのことが、ほんの少しずつ分かっていくから」
 その言葉を、アリスは反芻する。今まで、そんな考え方はしたことも無かった。力づくでこじ開ける、それが彼女のやり方であったから。しかし、一言一言を交し合いながらゆっくりと開けていく楽しさというものも、彼女は確かに感じていた。ホンシアの言葉は、その理由を説明してくれるものであった。
「そうかも……そうかも知れない」
 今まで多くの人と話して来たのは、相手の心が分からないから。
 今まで多くの人と話して楽しかったのは、相手の心が分かって行くから。
 それはアリスにとって、真理であった。そしてその真理は、ローエングリンの閉じた心にも通じるはずだと。
 割れてしまった卵は、きっと元に戻らない。力づくでこじ開けたら、昔のローエングリンは戻って来ないかも知れない。だから少しずつ、一言ずつ開かせなきゃ。そしてそれを楽しめば良い。楽しかった、昔のように。
 思いもしなかった糸口に気付けた嬉しさが、アリスの心を満たしていく。
 会おう、ローエングリンに。話そう、ローエングリンと。
 何があったのか、何を思ったのか、その全部は分からないかも知れない。それでも、ほんの少しなら分かるかも知れない。許せるかも知れない。そうしたら、こっちの気持ちも伝わるかも知れない。
 もはや、迷うべくも無い。
「ありがとう、ホンシア。やっと分かったわ、どうしたら良いのか、決心がついたわ」
 アリスは満面の笑みをホンシアに向ける。
「そう、良かった。力になれたんなら、嬉しいかな」
 その笑顔にホンシアは微笑みで返す。しばし見詰め合い、急に彼女は吹き出した。
「ごめんごめん、すごく嬉しそうな顔だから、ちょっと面白くて」
「嬉しい時は、笑うものよ」
「そうだね、今までアナタ泣きそうな顔ばっかりだったから、ちょっと驚いた」
 2人、声を合わせて笑った。
「なんか久しぶりだな、女の子とこんなに楽しく話したのって」
 ホンシアが夜空を見上げながら言った。
「そうだ、今度の日曜日って暇かな。一緒にさ、買い物とか行かない?」
「お買い物?」
 突然のホンシアの誘いに、アリスは戸惑いつつ答える。
「大丈夫だと思うわ。でも、どうして誘ってくれるのかしら?」
「女2人が一緒に買い物に行くのに、理由なんていらないでしょ。それに……」
 ホンシアがゆっくりと浮かび上がる。
「楽しい時のアリスも、見てみたいからね」
 思わず、アリスは宙に浮いたホンシアに手を伸ばす。その手は何にも触れずに空をかいた。
「日曜日の朝10時、この場所で待ち合わせ。いい?」
 星を背にして、ホンシアが尋ねる。アリスは座ったままそれを見上げ、こくり、と頷いていた。
「約束ね」
「約束は守るわ。絶対、守るわよ」
 その言葉に頷きで返し、ホンシアはさらに上空へ、そして遠くへと飛んでいった。残されたアリスは、そういえば、と気が付く。
 ホンシアはいつも、私を残して飛び去っていくのね。日曜日のお買い物でもそうなるのかしら。だったら、ちょっと面白いわ。
 紙袋を持って空を飛ぶホンシアの姿を想像し、アリスは苦笑した。

 次→「紅霞の向こう」 Part8

『Respective Tribute』 第4章「紅霞の向こう」 Part8

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 そして次の日曜日。アリスは試着室の中にいた。
「そろそろ穿いた?」
 カーテン越しにホンシアの声が聞こえ、アリスはもう一度鏡に映った自分を確かめる。
 似合わない……全然似合わない。こんな格好じゃ、恥ずかしくて外も歩けないわ!
「開けるよ」
 そう言ってホンシアが試着室のカーテンを開け放つと、普段の少女趣味とは半回り違う格好のアリスが、両腕で庇うように上半身を隠した。
「はい、両腕をピンと広げて。もっとよく見せて」
 ニヤニヤ笑いのホンシア。恥ずかしげな表情をしつつも、アリスは渋々その言葉に従った。
 上は黒のキャミソール・カットソー。下はローライズのジーンズ。足元には脱いだ服が乱雑に散らかっている。
「試しにと思って適当に選んだけど、それなりに良い感じだね」
 ホンシアはアリスの全身を舐めるように見た後、視線を緩やかなカーブを描く胸部に移した。
「胸以外は」
「うるさいわねっ!」
 先ほどと同じように胸を隠すアリス。どうして、こんな格好をさせられる羽目になったのかしら!
 その日の朝、アリスは約束通りマンションの屋上へと向かった。まだ日曜の喧騒は所々から聞こえるだけで、静かな朝の澄んだ大気が心地良い、そんな朝だった。
 屋上への階段を上り終えた午前10時丁度、ホンシアは既に屋上のフェンスに座って待っていた。そして腕時計を見ながらアリスの姿を確認し、こう言った。
「10時ちょうど。本当に約束は守るんだねぇ」
 まるでアリスを試したかのようなホンシアの一言。アリスは思わずムッとした表情をしてしまった。
 そんな朝の出来事を思い出したアリスは、機嫌を損ねつつあった。1度ならず2度までも遊ばれるように試され、しかも身体的な特徴まで馬鹿にされて。
「こんな恥ずかしい服を着ている人たち、おかしいわ!」
「いい歳して少女趣味な格好をしてんのもおかしいと思うけど。胸が小さいこと以外、スタイルは抜群なんだから。もっと大胆に行った方が良いって」
 またしても胸のことを言われ、アリスは完全に機嫌を損ねた。
「いいの、私は可愛い服が好きなんだから!」
 へそを曲げたアリスは、カーテンを思いっきり閉める。危うく、試着室の壁ごとカーテンを破壊しそうになった。

 2店目、3店目、4店目……アリスに数えられたのはそこまでだった。
 数え切れないほどの店をホンシアと回ったアリス。やっと座れたオープンカフェの椅子から店内の時計を見ると、時刻は3時過ぎ。陽射しはビルに遮られ、雑踏はその向こうの車道が見えないほどに休日的であった。
「ふぅ……」
 アリスの一息。だらりと全身の力を抜いて、彼女は椅子にもたれる。ホンシアはその姿に、勝者のような微笑みを見せた。
「どう、疲れた?」
 ホンシアの椅子の左には紙袋が2つ、右には3つ。服だけでなく小物の商品も乱雑に詰め込まれているため、重量は膨らんだ見た目と比べても重いに違いなかった。
「いつもこんなに沢山のお店を見て回っているのなら、買い物の病気だわ」
「女の子はみんなそういう病気だよ。まぁ、今日はちと買いすぎた気はするけどね」
 アリスはちらりと左側の地面を見る。椅子の左にもたれ掛かる紙袋が2つ、それはアリスの買った物であった。
「日曜日の度にいっぱい洋服を買って、一体何年かけて買った物全部を着るつもりなのかしら」
「一生かな」
 皮肉のつもりで言った質問をあっさりと受け流され、アリスは口を尖らせる。
 アリスは今日の買い物で何度も不機嫌になった。だが自身の紙袋に詰まっているような、一部の品々に対する好奇心がそれを打ち消していた。彼女もまた、買い物に夢中だったのだ。
「さて、少し遅くなったけど昼食にしよっか。お腹空いたでしょ」
 ホンシアの提案に、アリスは即座に姿勢を正して頷いた。言うまでも無く空腹だった。
「お腹に溜まるものがあれば良いけどね」
 メニューを広げながらホンシアが言った。

 次→「紅霞の向こう」 Part9

『Respective Tribute』 第4章「紅霞の向こう」 Part9

 前→「紅霞の向こう」 Part8

 パスタが乗っていた皿を脇にどかし、チョコレートムースを正面へと動かすアリス。それはそれは、嬉しげな顔で。
「甘いもの、好きなの?」
「もちろんよ」
 ホンシアの質問に即答する。二又の小さなフォークでゆっくりと先端近くを切り離し、突き刺し、食べる。
「甘いものが嫌いな人なんていないわ」
「甘すぎるのは少し苦手だけどね」
 そう言うホンシアの前にはチーズケーキが一切れ。対するアリスの前にはチョコレートムース、チーズケーキ、ホイップクリームが乗ったプリン、それらが1皿ずつあった。
「頼みすぎるのもだけど」
「大丈夫、半分払うわ」
 皿の比率と代金の比率がおかしい事に、アリスは気付いていなかった。ホンシアは不機嫌そうに黙り出す。
 お互い無言でデザートを口に入れ続け、アリスが1皿目を食べ終わった直後、ホンシアが口を開いた。
「ねぇ、アリス」
 チーズケーキの皿を引き寄せようとしていたアリスが、視線をホンシアに移す。
「女王って……誰?」
 思いがけない禁句に、アリスの脳が一瞬にしてイメージで溢れ返った。
 『女王』――金色の、長い髪の、深い青の、開かれた眼の、勝ち誇ったかのような、愛玩するかのような、上から見下ろすような、遥か高みにいるかのような、鮮明な一瞬の残影。
 記憶から想起された姿に、言い知れぬ感情が湧き上がる。それがアリスの全神経を突き動かし、彼女の全身は力み出し――
 我に返った時には、彼女のフォークは親指によってぐにゃりと曲げられていた。
「あっ……ごめんなさい」
 自分の無意識動作を謝りながら、アリスは曲がったフォークを指で挟み、擦った。魔力による圧力を加えつつ、元の形へと整えていく。重苦しく、強張った表情で。
「大丈夫……?」
 ホンシアの伺うような声にも、アリスは応えなかった。ただ黙ってフォークを見つめ、取り繕うかのようにそれを直している。
 2人の間に漂う沈黙。真っ直ぐに戻ったフォークをテーブルに置いた後も、アリスはホンシアの方を見ようとしなかった。デザートからも目を逸らし、店の脇を流れる雑踏を、頬杖を突いて見つめた。
 アリスは不快感を追い払おうと、空想する。街を歩く、人、人、人。この中には、決して『女王』はいない。傲慢な『女王』は、口で何を言おうとも人間の中に紛れはしない。だけど『女王』と違い、自分はきっと紛れたいのだ。人間の中で人間として、ただの魔導士として。それでも夜は自分らしく空を飛び、何者にも縛られないでいたい。
 人であることと、自分であることの両立。それを目指すから、自分は『女王』とは違う。『女王』はきっと、人間の世界でも特別になろうとしているに違いない。だけど、そんなに全て上手くは行くはずが無い。きっと、蹂躙される。傲慢さをまとった心も、しなやかな豪腕を振るう体も、すべてすべて。
 もちろん、私が倒した後でだけどね。
 自らの空想によって、アリスは呪縛とも言える『女王』のイメージを少しずつ崩して行く。それと同時に、不快感も次第に薄れて行った。
 そんな彼女の目が、人波の不自然な流れを捉える。
 微かに人が避け、好奇の目で見ている空間。そこには変わった風貌の少女がいた。
 クマの耳を模したカチューシャ。こげ茶色のショートヘア。幼い顔立ち。ガラス玉のような瞳。まるで人形のようなその顔は、まさしく――
「ベイビードール!!」
 アリスは立ち上がり、人波の向こう側に大声で呼び掛ける。突然の行為に驚いたのか、ホンシアは椅子ごと後ろへ転げそうになった。
 道路沿いの手すりに腰掛けていた少女は1度だけ頷き、通行人を掻き分けてアリスへと歩み寄る。目の前にその少女が来た瞬間、アリスは少女を抱きしめた。頬擦りをされ、少女はくすぐったそうに眼を細める。
 14、5歳の顔立ち。身長はそれよりも僅かに幼く。首から下はパジャマ風のクマの着ぐるみを着て、首から上は茶色の髪にクマの耳を付けて。
 クマを真似する、その姿。
 大シンボルの1人、「ぬいぐるみの女神」――ベイビードールだった。

 次→「紅霞の向こう」 Part10

『Respective Tribute』 第4章「紅霞の向こう」 Part10

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 アリスは抱擁の拘束を解き、ベイビードールの頬を2度、優しく叩いた。
「久しぶりね、ベイビードール」
 ベイビードールは「ぐあぁ」と獣のような声で答えた。その瞳は、動物のような無垢を湛えている。
「とにかく座って。お話しましょう」
 アリスは近くにあった空き椅子を自分たちのテーブルの前まで引き、ベイビードールを座らせる。そして先ほど立ち上がった時に倒れた紙袋に気付き、こぼれた品々を袋に突っ込んだ後、再び椅子の横に立て掛けた。
「こんな所で会うなんて、まるで奇跡みたいだわ」
 目を輝かせながらアリスは言う。ベイビードールは「がぁ、ぐああ」と、またも言葉にならない声を発した。
「……何て言ったの」
 ホンシアが怪訝な顔をして言った。
「私にもわからないわ」
 不審な者を見る目つきに益々変わっていく、ホンシアの両目。それとは対照的に、アリスはつい先ほどまでの沈黙が嘘のように屈託の無い笑顔を見せた。
「ねぇ、ベイビードール。どうしてこんな所にいるの。この近くに住んでいるのかしら?」
 アリスの問いかけに対する反応なのか、ベイビードールは着ぐるみの腹部にある大きなポケットからペンと薄い板を取り出した。
「なにかしら、それ?」
 ホンシアとアリスが見つめる中、ベイビードールは板に何やら書き始めた。
「ぐぁ」
 ベイビードールは板を引っくり返し、裏面をアリスたちに見せる。裏面には白い紙が貼ってあり、曲がりくねった筆跡で「ひみつ」と書いてあった。
「秘密って、せっかく会えたのにそれは無いんじゃないかしら」
 アリスが残念そうな表情で不満を吐く一方、何故かホンシアは興味津々といった様子でベイビードールが持つ板を見つめていた。
「ちょっと待って、これって……」
 ホンシアが人差し指で紙に触れる。
「液晶……?」
「液晶って?」
 アリスも板に貼ってある紙に触れてみる。その質感は紙とは全く違い、テレビの画面などと同様のものであった。
「もしかしてこれ、電子ボード……ペンで字が書けて、しかもこんなに自然に見えるなんて」
「えっと、どういうことかしら?」
 首を傾げるアリス。ホンシアは電子ボードから指を離し、背もたれに寄りかかった。
「超薄型のタッチパネル式電子ボード。軽量でしかも解像度も光度センサーもとんでもない、多分最新型の、高級品」
「よく分からないけど、そんなのを持っているということはお金持ちの人と一緒に暮らしているのね、ベイビードール」
 アリスの突飛とも取れる結論に対し、ベイビードールは小さく頷いた。
「やっぱりそうなのね。もしかして、住んでいる場所が秘密なのもそのせい?」
 ベイビードールは再び頷いた。
「そうなの……それじゃあしょうがないわね」
 すまなそうな表情で、ベイビードールは小さく「ぐうぅ……」と言った。
「あのー……話の腰を折るようで悪いんだけど」
 ホンシアが右手を顔の高さに挙げ、その右手で今度はベイビードールを指した。
「結局、この子って誰なの?」
「この子は、ベイビードール。私とは、昔からの仲良しなのよ」
 ベイビードールが電子ボードを抱えたまま、ホンシアに会釈した。
「変わった名前だけど……あだ名?」
 その言葉に、アリスは自分たちが人間で無いことを隠さなければならないことを思い出す。ベイビードールと再会したことの嬉しさのあまり、危うく奈々子との約束を破る所であった。
「ええ。でも本名みたいなものよ。ずっとそう呼んでいたから」
 我ながら上手い誤魔化し方だと、アリスは心の中で自画自賛する。
「幼馴染ということは、ローエングリンとも知り合いってこと?」
「ええ、もちろんよ」
 ベイビードールも頷く。
「ふーん…………まぁ、いっか」
 ベイビードールが現れてからずっと訝しげだったホンシアの視線が、穏やかなものに変わる。
「ケーキでも食べる?」
 アリスの前にあったチーズケーキの皿を、ホンシアはベイビードールの前に移動させた。
「あっ、それは私のだからダメよ!」
「久しぶりの再会なんでしょ。ケチなこと言わない言わない」
 ベイビードールは下手な字で「ありがとう」と書いた電子ボードをホンシアに見せると、チーズケーキを右手で掴み、小さな口を大きく開いて食べ始めた。
「……どういたしまして」
 ぎこちない2人のやり取りを見ながら、アリスは少々不機嫌になりつつ残ったプリンを食べ始めた。

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