不思議の国の軟体鉱物

2017-08

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『Respective Tribute』 第7章「嘘」 Part6

 前→「嘘」 Part5

 『女王』の猛攻に耐えるため、ローエングリンは己の集中力全てを視覚と聴覚に注いでいた。その2つが受信する『女王』の動作に対して彼の剣が的確に振られ、彼女はそれを避けつつ新たな攻撃動作へと移る。それが既に数分間、絶え間無く続けられていた。
 草を撫でるほどの低空で、『女王』はまるで氷上の舞姫のように高速かつ機敏に飛行している。だが踊るような飛行はそれとは正反対の醜いものにも似ていた――それはまるで蝿のようでもあった。
 その移動から繰り出されようとする攻撃を、ローエングリンは剣による牽制で防ぐ。一方的な防御、だがそれはむしろ彼にとって好ましい状況と言えた。『守護の王』の称号通り、防戦を得意としている彼にとっては。
 防戦を主軸として勝利するためには、相手の力が重要であった。力を浪費させ、疲弊させるか。それとも力を受け流し、隙を狙うか。だがローエングリンには分かっていた。『女王』は自分が守から攻に転じる瞬間を決して見逃さず、正確に急所を打ち抜いて来ると。自分自身が攻撃を行うようでは、決して『女王』に敵うことなど無いと。
 勝利に必要なのは、第三者の介入。たとえ己が攻撃に転じずとも、他の誰かが代わりに攻撃をしてくれるのであれば。誰かが、『女王』を殺してくれるのであれば――
 彼はそれを期待し、剣での牽制を続ける。『女王』が攻撃を仕掛けてくる方向へ、彼女が仕掛けるも早く刃先を向けた。攻撃が最大の防御と成りうるように、防御もまた最良の攻撃と成りうる。速度は相対的な要素であり、『女王』の神速に対しては不動の刃すら必殺の凶器なのだから。
 ローエングリンは淡い望みも抱いていた。『女王』が僅かに目測を誤り、自ら刃に触れてしまうことを。それは切り株に兎がぶつかるのを待つような、愚考かも知れない。それでも、その一瞬の怯みがあれば確実に『女王』は撃たれる。ホンシアの弾丸によって、必ず。
 『女王』の殺戮円舞の真っ只中において、彼はまだ生きることを諦めていなかった。相打ちですら覚悟していない。守り続けることによって、自らを貫き通すことによって、彼は『女王』の打倒を成そうとしていた。
 そんな彼の心理を嘲笑うかのように『女王』は寸分も刃に触れる事は無く、一方でローエングリンの身体に傷を付けることも無い。傍目から見ればローエングリンと踊りを愉しんでいるかのようにも見える動作。そして事実、彼女は笑っていた。
 殺す者と殺される者、歴然とした立場。それを意識してしまったローエングリンの思考に、逃げの一手が過ぎる。
 気まぐれで生かされているのかも知れない、防戦一方の現状。ここで一手、不意打ちの反撃を行ったならば。『女王』は予想外のことに対応できず、胴を裂かせてくれるのでは無いか。
 名案だと思い込む前に、彼はその妄想を頭から振り払った。防御で手一杯の現状から、さらに反撃動作を加えた所で当たるはずは無い。ただ守ること、それだけが自分に許されているのだ。
 何度目であろうか。『女王』の動作に合わせてローエングリンが剣を振った時、『女王』が彼から大きく離れた。剣の届かない距離で『女王』は直立し、獲物を狙うかのようにローエングリンを見つめ出した。
 僅かに余裕の生まれたローエングリンは剣を構えたまま、その意図を探ろうと訝しげに『女王』を睨み返す。そして彼はふと、気付く。何故『女王』は狙撃手であるホンシアがいる中、動きを止めているのだろうかと。『女王』は決して、死に直結するミスを犯さないはずなのに。
 何かが、おかしい。
 立ち止まっている『女王』は視線を上方に向ける。彼女が見ているのは、恐らく屋根の辺り。ローエングリンの背後、館の南側の屋根。そこにいるのは――
 その結論に達した時、ローエングリンは青ざめ、彼の手は剣に伝わるほど震えだした。『女王』が動きを止めたのは、もはや撃たれる可能性など無いから。彼女を撃とうとする者は、既に排除された。それが意味するのは、とても簡単で、単純な事実。
 ホンシアが死んだという、事実。

 次→「嘘」 Part7

『Respective Tribute』 第7章「嘘」 Part7

 前→「嘘」 Part6

「どうかしたか、ローエングリン」
 『女王』の澄み切った声に、ローエングリンは危うく平静を失いそうになる。
 残るは自分とアリス――だが、ホンシアが倒された今、アリスもまた――
 自らの選択が招いた、この末路。ローエングリンは心の中で謝罪の言葉を繰り返し始めた。
 すまない、すまない、すまない。
 彼は謝り続けた。陰島俊二に、神崎忠光に、周紅霞に、アリスに。
 誰もかも、何もかもが死んでしまう。『女王』の裁きは殺意ある者を決して許しはしない。恐ろしき『女王』の、その腕が届く場所へ多くの者を導いてしまった。そのことをローエングリンは謝り続け、だがそれで自分が許されるなんて微塵も思えなかった。
「顔色が悪いぞ。そんなことで私を殺せるのか?」
 ゆっくりと『女王』が近づいてくる。低速の接近、それは『女王』の暴速に勝機を感じていたローエングリンにとって、死の宣告に等しかった。
「そんなことで、誰が守れるのか」
 誰も守れない、誰も守れないのだろう。絶望がローエングリンの心に湧き始める。
 もう、何もかも諦めてしまえば良いのか。諦め、正当な裁きを受け、そして処刑されるべきなのか。
 戦意を失いつつあるローエングリンを『女王』の右足が蹴り飛ばした。防御することも考えられずにローエングリンは空中を舞い、数メートル先の地面に叩き付けられた。
「情けないぞ、我が臣下だった男がっ!!」
 その言葉が言い終わるまでの2秒足らず。その僅かな時間に『女王』の右手はローエングリンの胸倉を掴み、高々と持ち上げていた。
 絶好の機会、しかしローエングリンの腕は剣を振るうことを放棄していた。
「痛いのだぞ、ローエングリンッ!! 私は痛い、右脚が痛い、左腕が痛い、左足はもっと痛い! 左手はもはや握ることすら出来ない程に苦痛だっ!! だがな、ローエングリン、死んだ者たちはもっと痛かったのだぞ! それなのに、立派に戦った! 戦ったのだ、彼らは! 戦えば痛い、だがそれに耐えてでも戦う、それが戦士、それが人間なのだからっ!! ならば問おう、『守護の王』!! お前は今、何処が痛い!? どこが痛むというのかっ!?」
 『女王』は自身の背後へとローエングリンを放り投げ、即座に右足で蹴り飛ばす。再び宙を舞った彼は北棟の壁に当たり、落ちた。
「まさか心が痛むとでも言うのか、馬鹿なっ!! お前が悲しむことが何処にある!? 死んだ者たちが死んだ理由はただ1つ、私を殺そうとしたからだ!! そして彼らには、私と戦わない自由があった! だが彼らはそれを選択しなかった、自分の意志でなっ!! そして死んだ!! 意志を貫き通して死んだっ!! 彼らの死を悼むほどの心があるなら、何故お前は戦わない!! 彼らの遺志を受け継ぎ、彼らと同じように、何故戦わないッ!?」
 大声を張り上げて、『女王』がローエングリンへと歩み寄る。彼は起き上がろうとして、結局力無く、壁に背中をもたれ掛けてしまう。背中から伝わる激しい痛みと全身の痺れが、彼の身体を無力にしていた。
 彼の空ろな目が燃えるような『女王』の目と交差する。彼女は歩みを止め、静かな口調で言った。
「少し……済まない、私は気が立っていたようだ。冷静で無かった。謝ろう、ローエングリン」
 ローエングリンは瀕死で在りながら、思わず微笑んでしまった。情緒不安定と言える『女王』の変わり様が、何処か可笑しくて。
「戦わないのも君の自由なのだ。もし君が、私を殺すことを諦めるというのなら。それなら私は君を再び臣下として、頼るべき仲間として迎えたいと思う」
 馬鹿を言え、それなら俺は死ぬ。死んでやる。
 その返事を、か弱きローエングリンは言葉に出来なかった。
「だが、その前に1つだけ教えて欲しいのだ、ローエングリンよ。何故、君が私を裏切ったのかを」
 その言葉を聞いたローエングリンの脳裏に、懐かしい顔が浮かび上がる。断片的な面影が次第に1人の少女となり、彼はその名を口に出しそうになる。
 それを必死に押し留めて、彼は別の言葉を吐いた。
「『女王』……貴女はあまりに自由過ぎたのです。私は……危険だと判断しました。人間社会に対する過剰な介入、それには何らかの目的があり、それによって人間達、そして『構造体』と共に生きる者たち全ても危険に晒されると……私はそれを危惧し、貴女に……」
「アリスにもそう言ったのか、ローエングリン」
 微かに嘲笑を浮かべる『女王』の口元。
「私にまで嘘を守り通す必要は無いのだよ、ローエングリン」
 背筋に走る、悪寒。ローエングリンはある可能性に気付き始めた。
「君のその理由は、あまりに漠然とし過ぎている。私が思うに、君が私を殺すとしたらあの聖遺物に関する何かが理由だ。私が探索を命じた伝説の杯、聖杯。あの電子メールでそれについて仄めかしたのは、私を誘き出すと同時に聖杯を私に渡すまいという意志表示なのだろう? だとしたらローエングリン、君はもしや、聖杯が何処にあるのか分かったのか?」
 恐怖がローエングリンを震わせて行く。『女王』がもし、あの事に気付いているのなら――
「君は私の命令通り動いたはずだ……となると、存在するのは北欧近くか? 北欧……調べてみる価値はあるようだな」
 『女王』は嬉々とした表情を浮かべる。
「北欧といえば、ローエングリンよ」
 ローエングリンには、その笑みがまるで狙いを定めた槍のように思えた。
「――エルザは元気か?」
 その一言によって、ローエングリンはまさに心臓を貫かれたような感覚に陥った。
 間違いない、『女王』は、『女王』は知っているっ! 知っていて……
「知っていて……分かっていて俺に命じたのかっ!!」
 憤怒が胸に溢れ、喪失した戦意が一瞬で蘇る。ローエングリンは力の入らない脚をどうにか動かそうと、必死に力を込めた。無駄だった。
「そうだ、知っていた。最初から聖杯の在処は分かっていたのだよ、ローエングリン」
 ローエングリンは動かない脚を諦め、魔力に神経を集中した。浮き上がる身体、地面から離れた両脚は力無く垂れ下がる。
「殺す……絶対に、絶対に殺す……殺さなきゃ、アイツが、アイツが……」
「そう、君の調べ上げた通りだ」
 『女王』は微笑んだまま、言い放った。
「聖杯の在処は、エルザの心臓部だ」

 次→「嘘」 Part8

『Respective Tribute』 第7章「嘘」 Part8

 前→「嘘」 Part7

 一進一退の攻防を繰り広げていたアリスとカレンは、共に動きを止めていた。下から聞こえる大声、怒れる『女王』の叱責。その姿に2人とも釘付けとなっていた。
 アリスは『女王』を目で追う内に、建物の壁に倒れ掛かっている人影に気が付いた。夕日に伸びる建物の影、その先にいる力無き様子の誰か。
 彼女は目を凝らす。白い衣服、白い髪。懐かしい姿の男。
「ローエングリン……!」
 その正体に気付いたアリスは、一瞬で『女王』に向かう加速度を発生した。だが、一瞬で彼女に向かって蹴りが放たれた。
 脇腹を狙ったその足を逆方向への急加速で回避し、続くカレンの蹴りも後退によって避けるアリス。連撃の後、カレンはアリスから距離を取り、2人は再び屋根の上で対峙する。
「やっぱり、貴女を倒さないと『女王』の所へは行けないみたいね」
「今更? 本当に馬鹿ね、貴女は」
 カレンから冷ややかな笑いを受け、アリスはムッとした表情になってしまう。力任せに突進したくなる衝動を抑えながら、アリスは現状を整理し始める。
 カレンは強いわ、とても。だけど攻撃はかわせないわけじゃないし、気長に頑張れば倒せるかも知れないわ。けれど、それだと時間が掛かり過ぎちゃう。ローエングリンを助けなきゃいけないのに。だから、今すぐ倒せる方法、何か、そう……
 アリスは以前、ローエングリンに教わった言葉を思い返す。相手の考え付かないことをしろ。そのローエングリンの言葉が今の状況ではとても有効であると、彼女にはそんな予感がしていた。
 攻撃は全て、カレンの両脚によって防がれていた。彼女の足捌きと『構造体』製の頑丈な靴は、鉄壁の防御と言っても過言では無い。しかし、アリスはそれ以上の防御を知っている。相手の力を受け流す、守護の剣を。
 彼女は考える。ローエングリンの守護を破ったように、カレンの脚を無効化する方法を。防御を防御で無くする方法、攻撃を防がれない方法を。カレンのための、必勝法を。
 カレンの右脚が上がり、アリスを挑発するかのように爪先で円を描き出した。一見隙だらけにも見える行動、しかしアリスの攻撃に対応出来る速度をあの脚は持っている。
 むやみに接近すれば返り討ちに遭いかねない。アリスはそう判断し、すり足で1歩前進する。足に伝わる瓦の硬さ。それを靴越しに感じた時、彼女は不意にある手段を思い付く。
 私が接近出来ないとしても、他の物なら……
 その閃きを実行するため、アリスは右足を後ろに下げ、野球のバッターのようにバールのようなものを構えた。カレンは吹き出し、愚か者をあざ笑うような目でアリスを見る。
「こんなに頭のおかしい子だとは思って無かった。大丈夫なの、アリス」
「何がかしら?」
「貴女の頭。そんな所で構えたって私には届かないわ」
 カレンとアリスの距離は3メートル以上。バールのようなものはカレンの右足にすら当たることは無い。
「確かにそうかも知れないわ。でもねっ!」
 アリスはバールのようなものを大きく振り、自身の右にある瓦屋根の頂上を抉る様にして吹き飛ばした。
「なっ……!?」
 瓦とその破片がまるで激しい水しぶきのようにカレンに襲い掛かかる。だが右足の一蹴りで、彼女は自身へと飛来する大きな破片をほぼ全て破壊した。
 残った細かい破片がカレンに当たり、そして――
「ア……」
 破片と共に加速していたアリスは、体勢を低くしてカレンの足元にいた。
 振り下ろされるカレンの右脚、振り上げられるアリスの武器。高速の両者が激突した瞬間、美しい脚が血を撒き散らしながら、曲がるはずの無い方向へと折れた。絶叫が夕空に木霊する中、アリスは続く一撃を残った脚に放つ。痛みで無防備だったカレンの左脚が右脚同様に折れ、彼女は無様にも屋根へと転倒した。
 勝利を得たアリスは立ち上がり、壊れた人形のように無残なカレンを眺める。左から差し込む西日に目を細めながら、アリスは愉悦の笑みを浮かべていた。

 次→「嘘」 Part9

『Respective Tribute』 第7章「嘘」 Part9

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 腹部からの出血を腕で押さえながら、ホンシアは屋根瓦の上で身体を丸めていた。
 くそ……くそっ!
 痛みに耐えるだけで精一杯の彼女は、悔しさを口から漏らすことも出来ない。最大の機会を目の前にしながら、あまりにも無力な自分。狙撃手として多くの命を撃ち殺してきた末路がこのような死に様であることを、彼女は毛頭受け入れられなかった。
 復讐の中で彼女は見出していた。人を撃つ達成感。魔導士としての優越感。自分がそれらを感じていることに嫌悪を覚えながらも、その快楽があったからこそ彼女はここまで来れた。死に向き合う恐怖から逃れることが出来た。
 恐怖への勝利が、彼女を『女王』まで導いた。
 あと一歩。頂点を撃ち抜けば、もはや撃つべきものは無い。全ては終わるはずだった。その先に、夜明けが待っている。殺人の恐怖からも狙撃の快感からも解放される朝。命と自信だけを残した、無垢な夜明けが。
 しかし今、その夢は潰えた。日没の朱色の中、命も自信も奪われて。
 足音が聞こえ、ホンシアは必死で顔を上げた。最も大事なものを奪った敵を見るために、必死で。
 敵の足、脛、幼さの感じられる膝――レースの付いた透け感のあるワンピース状の下着。とても刺客とは思えない姿。彼女はさらに上を、その顔を見た。
「ぁ……」
 驚きは声にならなかった。こげ茶色のショートヘア。幼い顔立ち。ガラス玉の瞳。夕日に照らされたその顔は、あの日に出会った少女。アリスの友人。
 ――ベイビードール。
 あのクマを模した特徴的な格好はしていなかったが、下着姿のそれは間違いなく彼女であり、そしてその右手は血で汚れていた。
 ホンシアは思い起こす。高級な電子ボードを持った、異様な風体の少女。彼女は結局の所、何者だったのだろうか。何故、「偶然にも」あのカフェにいたのだろうか。
 その答えが、目の前にあった。
 どうしてあの時、気が付けなかったんだろう。アリスの友達なら『女王』と面識があってもおかしくない。『女王』の命令で、自分を監視している敵であると、それくらい、想像できても良かったはずなのに。なのに、どうして私は――
 ベイビードールがしゃがみ込み、ホンシアの顔を覗く。彼女は悲しそうな目付きでホンシアを見つめ、「ぐぁ……」と寂しげな声を出した。
 どうしてあの時、ベイビードールを敵と考えなかったのか。今にも泣きそうな彼女の表情から、ホンシアはその理由を理解した。
 考えたくなかった、それが答えなのだと。
 自分が殺しの道を歩み始めた18歳、それよりも遥かに幼い姿の少女。クマの着ぐるみを着ていた奇妙で無垢な少女。そんな少女が敵である事を、ホンシアの脳は想像出来なかった。想像するのを拒否した。
 彼女は信じたかったのだ。少女の純粋を。
 腹を貫かれてもなお、ホンシアはそれを信じたかった。ベイビードールが本当に悲しんでいることを。望んで自分を殺したのでは無いことを。
 だからホンシアは微笑み、首を振った。泣かなくて良い、アナタは悪くないから――そう伝えるために。
 それが伝わったのかどうなのか、ベイビードールは「があぁぁぅ……」と悲しい泣き声を発し、やがて居たたまれなさげに俯いた。
 果たして、どんな葛藤の末にベイビードールはその手を血に染めたのか。ホンシアはその心情を推し量ろうとしたが、痛みの中で朦朧としつつある思考には無理な仕事だった。唯一思い浮かべることが出来たのは、恐れと決意の狭間で弾丸を放った、最初の射殺の記憶。初めて人を殺した記憶。
 あの時の自分はここまで悲しい顔をしていただろうか。ホンシアにはその自信が全く無かった。狙撃が成功した瞬間には達成感と解放感が心を満たしていて、悲しむ理由なんて皆無だったのだから。
 それが、この末路への第一歩。あの日、ホンシアは少女では無くなっていた。
 だけど、この子はまだ大丈夫――
 ベイビードールは俯いたまま、未だ狙撃銃を握っていたホンシアの右手を解き始めた。見た目よりも遥かに強いベイビードールの力に抵抗できず、ホンシアは銃を取られてしまう。そして空いてしまったその手に、代わりの何かが握らされた。
 ホンシアの指に触れたのは、ビニールのような物に包まれた何か。彼女がその正体を確かめようと手を開く前に、ベイビードールが立ち上がった。狙撃銃を抱え、ホンシアの視線から逃げるように目を伏せ、少女は静かに立ち去って行く。
 瀕死となり狙撃銃も奪われたホンシアは、もはや戦力では無い。よって、ベイビードールの任務は達成したに違いなかった。
 ホンシアは手を開き、狙撃銃の代わりに貰った物を確かめる。
 ビニールに包まれた飴玉3つ。それが、ベイビードールの想いだった。
 激痛に耐えながら、ビニールを解き、その3つを一気に口中へ入れるホンシア。
 甘い……か……
 その甘味によって、ホンシアの痛みがほんの少しだけ和らぐ。僅かに生じた、生きる余裕。
 まだ私……死んでないんだよね…………
 ホンシアはゆっくりと身体を起こし、腹部の傷を確かめる。出血は多いが、幸運にも傷の位置自体は致命的では無いようだった。まるで、故意に逸らしたかのように。
 もしこのまま動かずにいれば、命だけは助かるかも知れない。だがその選択肢を選ぶことを、彼女は許せなかった。
 ホンシアは分かってしまったのだ。たとえ生き残ったとしても、もはや自分はベイビードールのような少女には戻れないことを。そして死んでしまった者たちを――雇い主である陰島、その秘書である神崎、自分と同じく雇われた幾人の兵士たちを――無視して生き延びる罪に、自分が耐えられないことを。
 ホンシアはズボンのポケットから小さな短銃を取り出し、立ち上がった。意識は朦朧としている。腹部からは血が流れ続けている。眼下の中庭では『女王』が背を向けている。その先ではローエングリンが息も絶え絶えに、壁に倒れ掛かっていた。
 最悪の危機、絶好の機会。その両立の中、ホンシアは銃を構え、狙いを定める。
 まだ……やれる……!
 『女王』までの距離は50m程度。狙撃銃ならば確実に命中できる距離だったが、短銃で狙える距離では無い。それでもホンシアは諦めること無く集中した。相手を見据え、銃と腕を魔力による加速度で固定し、精神を統一して。
 彼女は残った全てを用い、慎重に狙いを定める。魔導士としての、狙撃手としての自分全てをその1発に託すかのように。選んでしまった道を、もう二度と後悔しないように。
 人生で最後に殺したい相手へと向けた銃。その弾道が完璧に『女王』を捉えたと確信した瞬間、合図であるかのように風が弱まった。狙撃手としての感性に押され、ホンシアは無意識に引き金を引いていた。
 意識と命と誇りの全てを込めた、直線軌道の弾丸。それが真っ直ぐ、ただ真っ直ぐに、『女王』に向かって――

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『Respective Tribute』 第7章「嘘」 Part10

 前→「嘘」 Part9

 操り人形のようにぶらりと宙に浮いたローエングリンが、右手に握った剣を魔力による加速度発生で無理矢理に振りかぶる。しかしその腕は、『女王』に容易く掴まれてしまう。
「何故……何故俺に命じたっ!? 何故俺にアイツを殺させようとしたっ!!」
「選択権を与えたかったのだ。君にも、エルザにも」
 そう言ってから『女王』は掴んでいた腕を放し、その拳でローエングリンの腹を強く突いた。その一撃はローエングリンの集中を切らし、彼は弛緩した身体で再び壁に倒れこんだ。
「『構造体』で過去に造られた物なのか、それとも本当に神の奇跡なのか……どちらにしろ、聖杯には超自然の分子操作を発生させる力がある。そして、その力を利用して造られたシンボルこそ、エルザだった。不安定な組成を聖杯の力で無理矢理に保たされ、聖杯が無ければ肉体が滅んでしまう哀れなエルザ。君が考える通り、聖杯を手に入れるためにはエルザを殺さなければならない。なればこそ、手に入れるべきかどうかの『自由』を君に託したかった」
「自由……」
「そうだ。君が私の命令を無視し、聖杯の探索を放棄するのであればそれでも良かった。逆に君が命令に忠実であるようならば、エルザへの説得を行わせる考えもあった。聖杯のために彼女がその命を捧げてくれるように」
「俺がそんなことを、するとでも……」
「思ってはいない。だが、第3の選択肢を選ぶ可能性は充分にあった。聖杯の在処を知った君が、私への謀反を企む可能性。そしてそれは、現実になった」
 ローエングリンは苦々しく表情を歪める。自分の行動が読まれていた腹立たしさ、胸が詰まるような痛みが込み上げてくる。
「この場合、君を殺す正当な理由が充分に生まれる。そして君を殺したならば、エルザは必ず私へ反旗を翻すだろう。そうなれば次は、エルザを殺す正当な理由が生まれる。そして最後に、正当に聖杯が手に入る」
 ローエングリンにとって、それは吐き気を催す論法であった。
「私とて咎の無い同族を殺す権利は持っていない。それ故、聖杯を手に入れるためにはエルザ自身が罪を犯す必要があった。その呼び水となることも考えた上で、君に聖杯探索を命じたわけだ。エルザと懇意である君こそ、エルザに罪を負わすことの出来る者であると考えて。流石にここまで都合の良い方向で事が進むとは考えていなかったが」
「悪魔め……」
 その言葉に、『女王』はさも嬉しげに微笑んだ。
「悪魔か、そう言われても仕方無いさ。だが、私を悪魔にしたのは君だ、ローエングリン」
「何を……」
「違うとでも言うのか? 君には選択肢があった。自由があった。その自由の中から君が選んだのは、君にとって最悪の選択だった。私への抗い、君とエルザを破滅に導く罪。それを選んだのは君自身なのだよ、ローエングリン」
「それを選ばせたのは貴女だ、『女王』」
「本気でそう思っているのか? 私は『自由の女王』の名に恥じぬよう、そして『女王』という分不相応な通称に足るよう、卑劣な策を避けてきた。せめて相手に選択権があるように、『自由』があるようにと。君にも相当な選択肢があったはずだ。私に抵抗するにしても、他の選択肢がいくらでもあっただろうに」
「他の選択肢だと……」
「教えてくれないか、ローエングリン。君は何故エルザの傍を離れたのだ? 最も守るべきだった者の傍を離れた、その理由は何だ?」
「アイツに辛い真実を知られぬまま、貴女を倒すために決まっている」
「それが過ちなのだ、ローエングリン」
 思いも寄らぬ言葉に、ローエングリンは呆然となった。数ヶ月間、悩んだ末の結論。エルザを傷つけずに、全てを守り抜くための選択。その決意が今、言下に否定されたのだ。
「何故君は、エルザに真実を知らせなかった? エルザが真実に傷付くことが怖かったのか? しかしだ、ローエングリン。私には過酷な真実に負けるほど、エルザは弱く無いように見える。もしかしたら、だ。君よりも遥かに強い心を、彼女は持っているのかも知れない。心だけでない。聖杯の加護は彼女を戦う者としても高めているはずだ。エルザを守る最も良き方法は、エルザに真実を知らせ、エルザ自身に道を選ばせ、そして君はそんなエルザの傍を片時も離れない。それで、それだけで良かったはずだ。彼女がどんな選択をしようとも、君はエルザを守り、エルザは君を支えただろう。エルザにとっても君にとっても、それこそが最良の選択であったと私は思う。だから、問い続けよう。君は何故、そうしなかった? 何故君は今、エルザの傍にいない?」
「俺は……」
 言葉が、続かなかった。

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