不思議の国の軟体鉱物

2017-08

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『Respective Tribute』 第10章「贈り物」 Part6

 前→「贈り物」 Part5

「あのね、奈々子」
 髪を触る手が止まる。アリスは奈々子の顔を見ずに、言葉を続ける。
「私、夢が出来たのかも知れないの」
 手の中にあるハンカチを見つめながら、自身の思い出に語りかけるように。
「その夢の途中で、もしかしたら、誰かを殺してしまうかも知れない」
 ルーシーのように。
「……もしかしたら、私が死んじゃうかも知れない」
 ローエングリンや、ホンシアのように。
「それでも叶えたい、叶えなくちゃいけない夢なの」
 きっと理解されない思い。だとしてもアリスは、感じて欲しいと願った。
 その夢こそが、今の自分自身であることに。
「奈々子は……応援してくれる?」
 そっと、奈々子の手がアリスの髪から離れる。そして、告げられる。
「応援なんて、出来るはずが無い。貴女が死んでしまうような夢なんて、絶対に」
 アリスは奈々子の顔を見ようと、顔を上げる。アリスの両目が悲しそうな奈々子の表情を捉えるも、彼女はすぐに顔を背け、ベッドから離れてしまう。そして窓際に立ち、外の風景に目を移した。
 そして、諦めたかのように、一言。
「でも……許してあげる」
 肯定でも否定でもない言葉。それはアリスにとって、優しすぎる言葉であった。
 自分が死ぬことを肯定せず、自分が夢を目指すことを否定せず。アリスを心配し、アリスを尊重する奈々子の妥協点。自分には勿体無いくらいの優しさだと、アリスには思えた。それはとても、嬉しいことだった。
 だからアリスは、それに応えようと決意する。奈々子が望まないことを、絶対に避けて見せると。
 それが意味するのは、自分が死ぬこと無くルーシーを倒すということ。夢に敗北することも、引き分けることも許されない。奈々子の優しさを裏切らないためには、完全な勝利を成し遂げるしかない。
 望むところだわ、とアリスは心の中で意気込む。元より、死ぬ気も負ける気も無かった。それが奈々子のためになるのならば、迷うことなど何も無い。
 そんな強い決心を沸き上がらせながら、アリスは奈々子の姿を見つめる。寂しそうな、後ろ姿を。
「奈々子……?」
 その背中が、生まれたばかりの決心を一瞬で鈍らせた。
 奈々子のために、夢を叶える。でもそれは本当に、奈々子のためになるのだろうか。それは本当に、奈々子の望みなのだろうか。

 次→「贈り物」 Part7

『Respective Tribute』 第10章「贈り物」 Part7

 前→「贈り物」 Part6

「……どうかしたの、アリス」
 ゆっくりと振り向いた顔は険しく、普段のような穏やかさも明るさも、そこには見えなかった。
「えっとね、奈々子……」
 そんな顔をしないで欲しいと、アリスは思う。だがどうすれば奈々子が笑ってくれるか、彼女には思い付かなかった。
 自分の夢が奈々子を不安にさせているのだとしても、夢を捨てることなど出来ない。その代わりに何かをしてあげたいと思っても、何をすれば良いのか見当もつかない。
「私が、貴女に出来ることって、何かある……かしら?」
 だからアリスは、奈々子自身に問い掛けた。自分の精神に存在しない選択肢を、もう1つの精神に求めた。
「貴女が、私に?」
 面食らったらしい奈々子は、驚きながら尋ね返した。
「珍しい、ううん、初めてかも知れないわね、貴女がそんなこと言うの」
 微かながら、笑み。
「そうだったかしら?」
「ちょっと気持ち悪いかも」
 アリスは「ひどいわ」と返し、奈々子は悪戯っぽく笑う。笑って欲しいというアリスの思いは、その手段を知ろうとする過程で果たされた。
「そうね、少しワガママを言わせてもらうなら」
 身体ごとアリスの方へ向き直し、奈々子が言葉を続ける。
「あんまり勝手に遠くへ行って欲しくないかな。やっぱり、心配だから」
 アリスはその言葉の中に、奈々子の寂しさを感じた気がした。まるで置いてけぼりを怖がる少女のような、そんな寂しさを。
「大丈夫よ、奈々子。私は勝手に何処かへ行ったりしないわ」
 その言葉に、奈々子は呆れたような微笑を浮かべる。
「行こうとしたくせに」
 それがルーシーとの戦いの朝を指していると、アリスはすぐに察する。
「えっと、あれは、ちゃんと帰ってくる……」
 帰ってくるつもりだったから。そう弁解しようとした時、アリスは気付いた。
 あの朝も今も、自分が成功のイメージしか心に浮かべていないことに。その一方で奈々子がきっと、失敗の可能性を考えていることに。
「アリス?」
 気遣うような奈々子の呼び掛け。彼女が最悪の事態を考えてくれたから、今の自分がいる。
 アリスは今更、その認識を得ることが出来た。
「……もう、あんな勝手なことはしないわ。奈々子が一緒にいてくれるから、私は私らしく生きられるんですもの」
 自分がこの国に来れたこと。不自由の無い日常を送れたこと。ルーシーと戦い、生きて帰れたこと。
 全ては、奈々子の力だった。
 「これからもずっと、奈々子と一緒に行くわ」
 それを聞いた奈々子が、顔を赤らめる。アリスは微笑みながら、無垢な眼差しで彼女を見つめ続ける。
「もう、何を突然言い出すんだか……」
 狼狽しながらも、奈々子の表情はどこか嬉しげにも見えた。

 次→「贈り物」 Part8

『Respective Tribute』 第10章「贈り物」 Part8

 前→「贈り物」 Part7

「貴女はホント、予測出来なくて不思議だらけなんだから」
 アリスは首を傾げて、問い返す。
「私が不思議だらけ?」
「ええ、そりゃもう。私にとっては、貴女は『不思議の国のアリス』以上に夢物語な存在なのよ」
 可笑しかった。可笑しすぎる言葉だとアリスは思った。
 私自身、自分が『不思議の国のアリス』の偽物だって思った時もあるのに。奈々子にとっては、その本物以上だなんて。
 あまりにも滅茶苦茶で、アリスはとても嬉しくなった。
「そうね、それだったら、むしろ光栄だわ」
 笑い合う2人。取り留めの無い会話が、アリスには心地良かった。
「まったく、あんまり調子に乗り過ぎないでね。もう少し常識を身に付けた方が本当は良いんだし」
 そう言った後、奈々子は何かを思いついたように「あ、そうか」と声を出す。
「ねぇアリス。貴女、戸籍を取ってみない?」
 唐突な提案に、アリスは目を丸くする。
「戸籍?」
 その言葉の意味は、おぼろげながらアリスも知っていた。
「自分がどこの誰なのか、証明する仕組みよね」
「そう。それがあれば身分証明が必要なことも出来るようになるわ。貴女が望むのならば学校にも通えるかも知れないし、色々な免許や資格を取ることだって出来る。自分専用の預金口座も作れるからウェブで買い物も出来るし、パスポートを取れば海外旅行も行けるわね」
 奈々子が列挙する可能性の数々。それは人間にとって普通のことでありながら、アリスには許されなかった日常。戸籍を得ることでそれらが可能になるのならば、それが意味することはひとつだった。
「つまり、戸籍を取れば人間になれるのね」
 アリスの言葉に、奈々子はしばし考える仕草をする。そして、頷いた。
「そうね、その通りだわ。戸籍を取れば社会的に人間として認められる。だけど、貴女が変わるわけじゃない。貴女に対する社会の接し方が変わるの。何処の誰でも無い人間っぽい何かじゃなくて、唯一無二の個人として扱ってくれるようになる」
 それを聞いたアリスの中で、イメージが広がっていく。
 自分が見つめて来た世界が自分を見つめ返す感覚。彼女が手を伸ばすと、世界もまた変化する。甘いお菓子も、綺麗な洋服も、色取り取りの景色も、街を行く人々も。
 決して、一方的などでは無い。全てが双方向に関わり合っている。
 アリスは自分の手が、その何もかもに届きそうに思えた。
「それは……素敵なことだわ」
 もはや外の世界など存在しない。奈々子からの贈り物が、アリスを世界に招き入れていた。
 彼女は、自分を取り巻く世界をさらに強く想像する。
 奈々子と楽しい日々を生きる現在。ローエングリンと共に色々なことを学んだ過去。ホンシアのような出会いが待っているかも知れない未来。
 そして、それら全ての先に見えるもの。過去から繋がっていて、現在を生き抜くことで辿り着ける、未来の果てにある到達点。
 世界の彼方で、ルーシーが笑みを浮かべていた。
 その場所を目指して、アリスは歩き始める。記憶の加速度を受け、感覚する全てを道標にして、前へ、前へと。旅路の途中で出会えるだろう、素敵な何かに胸を膨らませながら。
 奈々子と、一緒に。



 →あとがき

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