不思議の国の軟体鉱物

2017-09

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『Respective Tribute』 第10章「贈り物」 Part8

 前→「贈り物」 Part7

「貴女はホント、予測出来なくて不思議だらけなんだから」
 アリスは首を傾げて、問い返す。
「私が不思議だらけ?」
「ええ、そりゃもう。私にとっては、貴女は『不思議の国のアリス』以上に夢物語な存在なのよ」
 可笑しかった。可笑しすぎる言葉だとアリスは思った。
 私自身、自分が『不思議の国のアリス』の偽物だって思った時もあるのに。奈々子にとっては、その本物以上だなんて。
 あまりにも滅茶苦茶で、アリスはとても嬉しくなった。
「そうね、それだったら、むしろ光栄だわ」
 笑い合う2人。取り留めの無い会話が、アリスには心地良かった。
「まったく、あんまり調子に乗り過ぎないでね。もう少し常識を身に付けた方が本当は良いんだし」
 そう言った後、奈々子は何かを思いついたように「あ、そうか」と声を出す。
「ねぇアリス。貴女、戸籍を取ってみない?」
 唐突な提案に、アリスは目を丸くする。
「戸籍?」
 その言葉の意味は、おぼろげながらアリスも知っていた。
「自分がどこの誰なのか、証明する仕組みよね」
「そう。それがあれば身分証明が必要なことも出来るようになるわ。貴女が望むのならば学校にも通えるかも知れないし、色々な免許や資格を取ることだって出来る。自分専用の預金口座も作れるからウェブで買い物も出来るし、パスポートを取れば海外旅行も行けるわね」
 奈々子が列挙する可能性の数々。それは人間にとって普通のことでありながら、アリスには許されなかった日常。戸籍を得ることでそれらが可能になるのならば、それが意味することはひとつだった。
「つまり、戸籍を取れば人間になれるのね」
 アリスの言葉に、奈々子はしばし考える仕草をする。そして、頷いた。
「そうね、その通りだわ。戸籍を取れば社会的に人間として認められる。だけど、貴女が変わるわけじゃない。貴女に対する社会の接し方が変わるの。何処の誰でも無い人間っぽい何かじゃなくて、唯一無二の個人として扱ってくれるようになる」
 それを聞いたアリスの中で、イメージが広がっていく。
 自分が見つめて来た世界が自分を見つめ返す感覚。彼女が手を伸ばすと、世界もまた変化する。甘いお菓子も、綺麗な洋服も、色取り取りの景色も、街を行く人々も。
 決して、一方的などでは無い。全てが双方向に関わり合っている。
 アリスは自分の手が、その何もかもに届きそうに思えた。
「それは……素敵なことだわ」
 もはや外の世界など存在しない。奈々子からの贈り物が、アリスを世界に招き入れていた。
 彼女は、自分を取り巻く世界をさらに強く想像する。
 奈々子と楽しい日々を生きる現在。ローエングリンと共に色々なことを学んだ過去。ホンシアのような出会いが待っているかも知れない未来。
 そして、それら全ての先に見えるもの。過去から繋がっていて、現在を生き抜くことで辿り着ける、未来の果てにある到達点。
 世界の彼方で、ルーシーが笑みを浮かべていた。
 その場所を目指して、アリスは歩き始める。記憶の加速度を受け、感覚する全てを道標にして、前へ、前へと。旅路の途中で出会えるだろう、素敵な何かに胸を膨らませながら。
 奈々子と、一緒に。



 →あとがき

『Respective Tribute』 第10章「贈り物」 Part7

 前→「贈り物」 Part6

「……どうかしたの、アリス」
 ゆっくりと振り向いた顔は険しく、普段のような穏やかさも明るさも、そこには見えなかった。
「えっとね、奈々子……」
 そんな顔をしないで欲しいと、アリスは思う。だがどうすれば奈々子が笑ってくれるか、彼女には思い付かなかった。
 自分の夢が奈々子を不安にさせているのだとしても、夢を捨てることなど出来ない。その代わりに何かをしてあげたいと思っても、何をすれば良いのか見当もつかない。
「私が、貴女に出来ることって、何かある……かしら?」
 だからアリスは、奈々子自身に問い掛けた。自分の精神に存在しない選択肢を、もう1つの精神に求めた。
「貴女が、私に?」
 面食らったらしい奈々子は、驚きながら尋ね返した。
「珍しい、ううん、初めてかも知れないわね、貴女がそんなこと言うの」
 微かながら、笑み。
「そうだったかしら?」
「ちょっと気持ち悪いかも」
 アリスは「ひどいわ」と返し、奈々子は悪戯っぽく笑う。笑って欲しいというアリスの思いは、その手段を知ろうとする過程で果たされた。
「そうね、少しワガママを言わせてもらうなら」
 身体ごとアリスの方へ向き直し、奈々子が言葉を続ける。
「あんまり勝手に遠くへ行って欲しくないかな。やっぱり、心配だから」
 アリスはその言葉の中に、奈々子の寂しさを感じた気がした。まるで置いてけぼりを怖がる少女のような、そんな寂しさを。
「大丈夫よ、奈々子。私は勝手に何処かへ行ったりしないわ」
 その言葉に、奈々子は呆れたような微笑を浮かべる。
「行こうとしたくせに」
 それがルーシーとの戦いの朝を指していると、アリスはすぐに察する。
「えっと、あれは、ちゃんと帰ってくる……」
 帰ってくるつもりだったから。そう弁解しようとした時、アリスは気付いた。
 あの朝も今も、自分が成功のイメージしか心に浮かべていないことに。その一方で奈々子がきっと、失敗の可能性を考えていることに。
「アリス?」
 気遣うような奈々子の呼び掛け。彼女が最悪の事態を考えてくれたから、今の自分がいる。
 アリスは今更、その認識を得ることが出来た。
「……もう、あんな勝手なことはしないわ。奈々子が一緒にいてくれるから、私は私らしく生きられるんですもの」
 自分がこの国に来れたこと。不自由の無い日常を送れたこと。ルーシーと戦い、生きて帰れたこと。
 全ては、奈々子の力だった。
 「これからもずっと、奈々子と一緒に行くわ」
 それを聞いた奈々子が、顔を赤らめる。アリスは微笑みながら、無垢な眼差しで彼女を見つめ続ける。
「もう、何を突然言い出すんだか……」
 狼狽しながらも、奈々子の表情はどこか嬉しげにも見えた。

 次→「贈り物」 Part8

『Respective Tribute』 第10章「贈り物」 Part6

 前→「贈り物」 Part5

「あのね、奈々子」
 髪を触る手が止まる。アリスは奈々子の顔を見ずに、言葉を続ける。
「私、夢が出来たのかも知れないの」
 手の中にあるハンカチを見つめながら、自身の思い出に語りかけるように。
「その夢の途中で、もしかしたら、誰かを殺してしまうかも知れない」
 ルーシーのように。
「……もしかしたら、私が死んじゃうかも知れない」
 ローエングリンや、ホンシアのように。
「それでも叶えたい、叶えなくちゃいけない夢なの」
 きっと理解されない思い。だとしてもアリスは、感じて欲しいと願った。
 その夢こそが、今の自分自身であることに。
「奈々子は……応援してくれる?」
 そっと、奈々子の手がアリスの髪から離れる。そして、告げられる。
「応援なんて、出来るはずが無い。貴女が死んでしまうような夢なんて、絶対に」
 アリスは奈々子の顔を見ようと、顔を上げる。アリスの両目が悲しそうな奈々子の表情を捉えるも、彼女はすぐに顔を背け、ベッドから離れてしまう。そして窓際に立ち、外の風景に目を移した。
 そして、諦めたかのように、一言。
「でも……許してあげる」
 肯定でも否定でもない言葉。それはアリスにとって、優しすぎる言葉であった。
 自分が死ぬことを肯定せず、自分が夢を目指すことを否定せず。アリスを心配し、アリスを尊重する奈々子の妥協点。自分には勿体無いくらいの優しさだと、アリスには思えた。それはとても、嬉しいことだった。
 だからアリスは、それに応えようと決意する。奈々子が望まないことを、絶対に避けて見せると。
 それが意味するのは、自分が死ぬこと無くルーシーを倒すということ。夢に敗北することも、引き分けることも許されない。奈々子の優しさを裏切らないためには、完全な勝利を成し遂げるしかない。
 望むところだわ、とアリスは心の中で意気込む。元より、死ぬ気も負ける気も無かった。それが奈々子のためになるのならば、迷うことなど何も無い。
 そんな強い決心を沸き上がらせながら、アリスは奈々子の姿を見つめる。寂しそうな、後ろ姿を。
「奈々子……?」
 その背中が、生まれたばかりの決心を一瞬で鈍らせた。
 奈々子のために、夢を叶える。でもそれは本当に、奈々子のためになるのだろうか。それは本当に、奈々子の望みなのだろうか。

 次→「贈り物」 Part7

『Respective Tribute』 第10章「贈り物」 Part5

 前→「贈り物」 Part4

「自分自身のために……?」
「自分のために、自分が正しいと思うことをやればいい。死んでしまった2人との記憶が貴女の中で息衝いているのなら、それだけで彼らが生きていたことを示せるんだと思う」
「本当に、それだけで良いの?」
「それしか出来ないのよ、人間は。自分が正しいと思ったことしか出来ない。でも、その価値観は記憶に左右されている。大切な思い出は価値観に大きな影響を与えて、それは行動にも表れてくる」
 奈々子の右手が、アリスの長い髪をそっと撫でる。優しく、愛おしそうに。
「貴女は貴女らしく生きれば良いの。大事な記憶はみんな、貴女の一部になっているはずだから。貴女らしく生きるということは、それらを大切にするということでもあるの」
 自分らしく生きる。それは外の世界へと旅立つ前日にアリスが決めた、彼女にとって当然の生き方。だがその意味する所は、あの日と今では全く違うのだと、アリスには思えた。
 変わったのは言葉ではなく、自分自身。外の世界に出た自分は、少しずつ、そして劇的に、変わって行った。
 奈々子に髪を撫でられながら、彼女は思い返す。外の世界に憧れていた頃、全ては想像の中にしか無かった。外の世界を真似た数々の物が、自分にその想像を与えてくれた。そして本物はもっと素敵なのだと信じ、憧れた。
 だけど外の世界で過ごす内に、それだけでは無いことを知ってしまう。規則や不自由、汚さや複雑さ。理解できない事柄が綺麗な空や甘いお菓子、面白い物語と一緒に踊っていた。
 自分が信じていた世界と、自分が見たことも聞いたこともない世界。それらが混ざり合って、本物の世界だった。
 そんな世界で共に生きた、大切な人々。そんな人々と共に過ごした、大切な時間。ずっと憧れていた物とは違う、だけどそれ以上に鮮烈なもの。想像すら出来なかった思い出が自分を変え、「自分らしさ」を変えた。今のアリスには、それが実感出来ていた。
 旅立つ前の自分らしさ。それは素敵な物を夢見て、求めること。あの頃の世界は遠く、全ては夢物語だった。
 旅立った後の自分らしさ。それは自分が望むことをやり遂げること。目の前の世界に手を伸ばし、望みを叶えようとすること。
 近くなった世界が、近くなった人々が、アリスの価値観を変えていた。自分が望み、為せば、世界が応える。自分自身が確固たる存在であることを、世界と友人たちが教えてくれた。何もかもが思い通りでは無くとも、決して夢見るだけで終わるようなものは無いのだと。分からないことだらけの世界であっても、自分は前に進めるのだと。

 そしてアリスの中で、『女王』は「ルーシー」という個人になった。

 新たに得た認識が、絶対に届かない存在を自身の到達点へと変貌させた。奪われた命と失われた未来に対する想いが、嫌悪の感情を打倒の決意にまで高めた。
 もはやアリスには、無視することなど出来ない。誰のためでもなく、自分自身のために、倒さねばならなかった。彼女の一部となった思い出たちが、それを強く掻き立てていたから。
 止められない思い。自分の中にある過去と、届くかどうかも分からない未来を繋げる思考。
 それを表す、言葉。
 アリスは気付いた。自分に与えられた、その言葉に。

 次→「贈り物」 Part6

『Respective Tribute』 第10章「贈り物」 Part4

 前→「贈り物」 Part3

 真っ赤な花に目を落としていたアリスは、ノックの音に顔を上げる。
「起きてるわ」
 誰が来たのか、彼女は予想出来ていたし、期待もしていた。そして予想と期待の通り、扉を開けたのは奈々子だった。
「今日も元気そうね、アリス」
 どこか安堵しているような表情で奈々子は微笑み、扉を閉める。
「……その花は?」
 奈々子の視線は、ベッドの上に置かれた贈り物に向けられていた。
「友達がお見舞いに来たのよ」
「そう……友達が来てたの」
 一瞬だけ訝しげな表情をして、奈々子が静かに言った。アリスはその友達であるベイビードールについて色々と尋ねられると思い、身構える。しかし奈々子はそれ以上の追及を口にせず、窓際まで歩いて行く。
「外はいい陽気よ。もうすっかり春って所ね」
「桜は咲いているかしら」
「もう見頃ね。貴女の回復が早ければ、お花見も出来るかも知れない」
「今すぐにでも行きたいわ」
「もう少し休まないと駄目。傷の治りは早いみたいだけど、もうちょっと辛抱して」
 その言葉を聞いて、アリスはつまらなそうに口を尖らしてしまう。確かに両手足は満足に動かなかったが、外を散歩するくらいは加速度の発生で可能だった。病院のベッドで過ごすのにも飽き飽きしていた彼女は、いっそこっそり外出してしまおうかと想像を膨らませる。
「かなり無茶したんだから、しばらくは大人しくしてて。心配になるから」
 釘を刺すような、奈々子の気遣い。先日の戦いにおいて散々奈々子を心配させた挙句、その彼女に助けられたアリスには、それを無視することなど出来そうになかった。
 たとえ退屈であろうと、安静に休息することが自分への罰であり、奈々子への謝罪である。そのように思えてしまったアリスの内心で、外出への願望は萎縮して行く。
「ごめんなさい、奈々子」
 口から出た謝罪。奈々子を煩わせていることに対する言葉ではあったが、それを発せさせたのは自身の無力さを悔やむ心情であった。
 自分がもっと強ければ、傷つくことも困らせることも、失うことも無かったのかも知れない。過ぎてしまった事柄への問いは明確な答えを成さずに、ただ後悔へと変わって行く。
「謝らなくていいのよ、アリス」
 奈々子はそう言って、バッグの中から1枚の布を取り出す。それをそっと、アリスの前にある花束の上に乗せた。
「貴女が前に言ってた通り、服のポケットに入ってたわ」
 アリスはその布を手に取る。少し汚れたハンカチ。それはホンシアから渡され、もはや返すことの出来なくなった品物。アリスの手元に残った、唯一の遺品。
「そのハンカチ、何か大切な物なの?」
 弱々しい筋力でハンカチを握り締めて、アリスは小さく頷く。
 ホンシアがこのハンカチを渡してくれたのは、自分を戦いに巻き込むためだったのか。それとも、泣いてしまった自分を本当に慰めようとしてくれたのか。その真実は決して分からない。
 分かっているのは、あの時の優しさが今も自分の心に残り、大切な記憶として思い出せること。
 それはアリスにとって、紛れもない真実であった。
「……私はね、奈々子」
 懺悔の思いが言葉となって、口から溢れる。
「誰も守れなかったの。大切な友達も、友達になれそうだった人も」
 未だに脳裏に残る、2人の死に顔。一片の力も感じられない、表情の終着点。
「もしも、私がもっと強かったら、2人を助けられたのかしら。また一緒に、色々な場所へ行って、楽しくお話もして、それで……」
 もはや存在しない可能性。潰えてしまった幾つもの未来を想像してしまい、アリスは胸が苦しくなる。
「私が、私があと少しでも強かったら……」
「……貴女がどんなに後悔しても、死んでしまった人のために出来ることなんて何も無いわ」
 アリスを諭すように、奈々子が言った。
「でもねアリス、貴女はまだ生きている。生きている限り、人は自分自身のために出来ることがある」

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